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将軍、はり受ける

こんにちは。はたけなかです。


前回に続き、「はりの歴史」についてお伝えしてきます。


歴代の将軍の中にも鍼を愛好していたと方がいます。


江戸時代5代将軍、徳川綱吉。
「生類憐みの令」で有名な将軍です。


徳川綱吉は64歳で亡くなるまで
大病をしなかったのですが
常に頭痛と関節痛に悩まされていたそうです。


・・・ちなみに、
江戸時代の平均寿命は45~50歳。
徳川15代の中で
綱吉は5番目に長生きした将軍です。
(1番長寿は15代将軍徳川慶喜76歳)


綱吉を治療し支え続けたのが
盲目の鍼医、杉山和一。


杉山和一は、「管鍼法」という
管の中へ細い鍼を入れ
その端を指で叩いて刺す方法を発明した方。
髪の毛くらいの細い鍼が体に入っていくので
痛みを感じにくい方法。


当初は、綱吉も痛いだろうと構えていたのですが
痛みもなく症状も軽くなったことに喜び
杉山和一に褒美を与えました。


「何か欲しいものはあるか?」と尋ねた綱吉に
「1つでよいから“目”が欲しい」と答えた和一。


しかし、目を与えることはできない。
代わりに、本所一つ目(現在の東京都墨田区)に
約1900坪の土地を授け

杉山和一はそこに
「杉山流鍼治導引稽古所」
という、視覚障害の方の鍼あん摩の稽古所を作りました。


稽古所を作ったおかげで、
視覚障害の方が鍼やあん摩で働ける環境が整いました。
そして、「杉山流鍼治導引稽古所」は
世界で一番初めに視覚障害者のための鍼灸学校なのです。

・・・ちなみに、73歳まで長生きした徳川家康も
お灸で一命をとりとめたと言われております。


家康は、
自ら薬草を育て、調合するほどの健康オタク。
そんな家康ですが、あるとき拳大ほどの巨大なおできが背中にでき
マラリアの一種と言われており、
当時は不治の病と言われたとても危険な病気でした。


最初、この膿を家臣たちに
はまぐりを使って取り除かせようとしたらしいのですが、
それがかえって逆効果。
傷口が悪化して、七転八倒。


そこで、鍼灸師に頼み、
すごろくの筒ほどもある大きさのお灸を2~3個背中に据えたところ、
おできの膿を焼き切り完治。


歴史を築いた将軍を支えた鍼灸。
そして、杉山和一が発明した「管鍼法」
この発明のお陰で髪の毛くらいの細い鍼でも
体に刺すことができるようになり
さらに痛くない鍼の施術ができるわけです。


先人に感謝です。 


ここまで、お読みくださりありがとうございました。

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