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見慣れた道

東北の田舎生まれ田舎育ち。
小学生の頃は、学区という区切りが嫌いだった。

その学校に通う生徒ということに変わりは無いのに、低学年の頃、学区という区切りがあるせいで俺は友達の家に自転車で行けなかった。

俺の学区に小学生は4、5人。1人は姉貴。
つまり残り3、4人が近所に唯一いる友達。

同級生なんて当然居ない。
みんな年上。
男は俺以外に1人だけだった。
遊ぶ場所もなく、公園もない。
やることと言ったら、ドブをとびこえてみたり、近くの小さな山で遊ぶくらい。

年上がぴょんぴょん飛び越える40cm程度のドブの幅。

当時の俺は飛べなかった。
ドブに落ちて家に帰る。
ばあちゃんに怒られる。

そんな毎日。
同級生の家は徒歩で行くしかった。みんな自転車で集まってるのに。

そんな小学生時代の出来事。

高学年の頃だろうか。
自転車でどこまでも行けるようになり。
片道15分くらいの塾に通っていた。
もっと近くに塾はあったけど、同級生と同じところに行きたかった。

塾はいつも夜。授業時間は1時間そこそこなのに、終わった後、友達とだべって変えるからいつも少し遅くなる。

その日も夜の9時くらいにいつものように帰っていた。

ただその日は少し違った。

もちろん帰りはいつも1人。

家に帰るには上りの坂を行くしかなく、毎回自転車を押して歩いていた。

いつもの見慣れた坂道。
正直、今考えれば不気味な坂ではある。

街頭は当然、今ほど明るくもない。
オレンジ色の街頭がポツポツと並び、真っ暗な坂道を照らす。
田舎ということもあり、歩いてる人は滅多に居ない。
車も夜9時にもなったら走ってる方が珍しい。

今思えば雰囲気満載な道だが、当時の俺は歩き慣れた道、怖さなんて微塵もなかった、物心着いた時から歩いてる道、もう少しで家だ!腹減った!そんな事しか考えたことがない道。

ただ、その日は少し違った……

何故か足が進まない。
いつもならどこまで漕いで進めるかの個人チャレンジタイム。途中まで漕いで、ゼェゼェ言いながら押す。そんな道。

でも、その日は坂の前で足が止まった。

何となく不気味に見え、これ以上行ったら行けない気がした。

5分、10分……

いつもの道が、何故か怖く見えた。
道路に面してる家々はみんな知り合い。何かあれば助けも呼べる。
怖いことなんてない。

そう自分に言い聞かせても、何故か1歩が踏み出せない。
当時携帯なんてものはなかったから、誰かを呼ぶことも出来ないし、話しながら行くなんてことも出来ない。

(やばい、どうするか……)
そんなことを思っていると、後ろから足音がした。
振り返るとそこには女の人がいた。

肩甲骨位までのサラサラした長い髪に、当時は珍しい茶色い髪。
服装は覚えてないが、何となく白っぽい感じの清楚な人だった気がする。

怖い=ダサい。
強がりたい年頃。
その人の後ろを着いていけば怖がってることもバレずに帰れた。

ただその時、何故か俺はその人に声をかけた。
「あのっ!!ちょっと怖くて、一緒に歩いて貰えませんか??」

何故だろう。今考えても何故あの時声をかけたかのかは分からない。自分は強がるタイプ。友達の前でも家族の前でも痛いとか、怖いとか言ったことが無かった。なのにその時は、強がるという行為自体が、まるで存在しないような、そんな不思議な感覚で恥ずかしげも無くその人に話しかけていた。

その人は、考える素振りもなく、
「いいよ。怖いよね」
と、答えてくれた。

それからは話をしながら家の近くまで歩いてもらった。何を話していたのかは覚えていない。

家に着くとばあちゃんから「遅かったね、なんかあったの?」と聞かれ、あったことをそのまま話した。

ばあちゃんは「よかったね。」とだけ答えた。

今思えばその頃からだろう。
好きな異性のタイプはサラサラの長髪。
今も変わらず、ずっとそのままだ。

ただ、今でも不思議に思っていることがある。

あの時一緒に歩いてくれたその人の髪型は鮮明に覚えているが顔がわからない。どうしても思い出せない。

そして、後ろ姿しかわからない。
後ろ姿なんて見ていないのに。

田舎の薄暗い街頭、色なんて鮮明にわかるはずがない。

なのに髪の色だけは何故か鮮明に認識ができた。

小学生時代の不思議な経験。

仮にその人が不思議な存在であったとしても、恐怖は無い。
助けてもらったという感謝の気持ちだけが残ってる。
隣を歩いていた時、怖かった気持ちが無くなり安心できた事だけは鮮明に覚えてるから。

だからこの場で改めて

ありがとう。

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