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小さな幸せがたくさん

希望を捨てない事って重要。
それを感じさせてくれた出来事に改めて感謝を思ったので、ここに記させてください。

私はいまうつで、仕事も外出も全然できなくて収入も減ってしまった一般的に見ればどん底、悲惨なあわれな状態、です。

友人と休日ランチやお出かけもできないし、人が集まるライブやイベントもいけない、BBQもキャンプも、できない。
この夏も夏らしいことは1つもできずに終わってしまった。

でも、私は今この病気に、大事なことに気づくために、なるべくしてなったんだとそう受け止めています。

もちろん、辛くなる。
人並みに仕事ができない事は、人様や社会の役に立てない人間だということ。
やり甲斐や活躍の場がないことは自信を失くさせたし、以前みたいに社交の場にふらっと行って初対面の人と知り合ったり繋がりが拡がったりがなくなった。
インスタ・ストーリーも更新は殆どせず、やたらリア充アピールの写真を上げることもなくなった。以前が必死すぎたのも今になると思うのだけど、今の自分を恥ずかしく悔しく感じたりする時もある。

でも、以前の自分は確実に無理をしていた。

なるべくして、なったんだと思う。
背伸びをし続けて、自分を偽り続けて私は限界が来てしまった。それが今だっただけ。
むしろ早く気づけて良かったんだ。
そう思う事にしている。

幸いな事に休むための手当を受け取れて、以前みたいに働けない状態なのに無理して働くことにならずに済んだし、人と会えないことは辛いけど、今まで自分を無視しつつげてしまっていたことを思うと、
これはきっと向き合うチャンス。

そんなふうに前向きに、前向きに考えている。

うつになって見えてきた事も大きい。

まずはうつになってから、関わる人がガラッと変わった。

元気な時には仲良く会えてた友人も、
理解してくれる人変わらず応援してくれる人もいれば、
当然そうではない人もいる。

今、TwitterでnoteでInstagramで Facebookで、
私はなるべく本音をシェアするようにしている。

そうすると今まで見えていなかったものが見えてきた。

キラキラ自慢できることをシェアすることは簡単だけど、
お世辞にも順風満帆ではない自分のことをシェアすることは難しくて、
周りの反応も、複雑だろうと思う。

イイネしづらい内容だって自覚はしている。

それでも、知ってもらいたいからシェアをする。

こんなにも醜く弱くて不安で隠していた自分を。
それでも今、私は闘っていることを。

そうしていると、今までは「見えていなかった」友人知人たちの本性が本音が、「見えて」きた。

触れぬようにと距離を取る人が多いけど、
そんな中でも連絡をしてきてくれる人もいて、
ああ、ホンモノだな、てじんわり心が温かくなる。

距離を取る人が悪いわけじゃない。
尤もな反応だと思うし、どう言えば良いのかわからないって言うのもあると思うし、
私だって元気な時はそうしていたかもしれない、と振り返る。

人は皆、自分のことで精一杯なのだから。

他人事であることは当たり前だ。
だからこそ私は、自分を軸にしっかりマイペースに進んでいきたいと思っている。

でも、そんな孤独に闘う日々の中で、
じんわり小さなあたたかいことが本当に沁みるのだ。

小さな幸せを丁寧に噛み締めている

SNSのイイネひとつで勇気づけられる。

共感のリプやDMをくれる人がいる。

自分の近況を率直な言葉でシェアすることで、久しぶりに心配や応援の連絡くれる人もいる。

いつもイイネをくれる人、ああ、応援してもらってるとひしひしと感じる。
ネットのつながりだから繋がりはタイムラインででしかないこともあるけれど、通知を見るとすごく励まされる。

日々の発信への反応に、まだまだ、自分は幸せなやつだし価値を思える。

パートナーは精神不安定な私と一緒に過ごしてくれて、愚痴るのが苦手な私にモヤモヤを吐き出させようと付き合ってくれる。
見捨てることなく、苛々することもなく、冷静に私と向き合ってくれる。
彼がいれば私は外出しやすくなって世界が広がる。家に篭りっぱなしでも人とコミュニケーションをとることができる。
本当に、本当に本当に支えてくれている。

辛さを打ち明けられる仲間がいて、LINEをくれる。深夜にもかかわらず起きてる?ってLINEができて、時には電話もできる。
自然と涙が出てきてしまう。
言葉じゃなくてその声から気持ちを伝いあえる。
そんな仲間って、奇跡だ。

他人とこまめな連絡だったり付き合いが苦手な私が、数々の出来事に励まされてSOSを徐々に出せるようになってきた。

いつでもLINEしてね、て言ってくれた仲間に昨日辛くなって本当にLINEしてみた。
今まで辛くても誰かに連絡するなんて、以前の私だったら思いつきもしなかった。
「愚痴や弱音言っても何も変わらない」
本気でそう思っていた。

でも、違かった。人に連絡して話すことは、自分の気持ちを整理して現状を変えることにつながるんだと、実感した。

あと、辛い気持ちを話す相手も重要だったんだと思う。今までは辛いことを伝えてもわかってくれなかったり、価値観を押し付けられたりした。
でも、そうじゃない仲間ができた。
自分の変化と、そう本音で言ってくれていた仲間の優しい対応に嬉しくなった。

Amazonのほしい物リストを公開してみた。

今までは「甘え」のように感じられてしまって、とてもできなかった。
でも公開したら真っ先に送ってきてくだった方がいて、良かったんだとなんだかほっとした。

買いたくてでも迷ってたグッズを贈ってもらえたり、もう嬉し過ぎて。大事に使わせてもらっているし、それを見ると心がじんわり温かくなる。

食料品や消耗品、LINEギフトも優しいメッセージ付きで定期的に贈ってきてくれる人もいる。
ああ、見守ってもらってるって思う。

今まで人の汚い面を多分に見てきた人間としては衝撃だったし、そんな素敵な大人に私もなりたい。本当に素敵すぎます。

先日、思い切って妹に連絡をして、真剣な話をした。
うつであることと休職中であること、見栄張ってちゃんと言えてなかったことを打ち明けた。

泣きながら本音を話した。感じていた後ろめたさと、不安だったこと、今後はこうしたいんだと本気で伝えた。
妹の返答が優し過ぎて私は思わず号泣した。
ちょっと希望が見えてきた気がした。

過去の恩師から連絡と、私の発信をシェアしたいと言われた。すごく、驚いたし嬉しかった。
子どもたちに普段から接している人で、私が苦しんでいる近くにいた当時の大人で、私の発言はそんな恩師からしたら本当だったら目を瞑りたいことなのかもしれないのに。
改めて尊敬し直した。大好きだったからこそ相談できなかった。そんな先生の1人だったし、その頃にはもう諦めてしまっていた自分だったので、別に先生が悪いわけではないのだ。
でも、そう言ってくれて今でも応援してくれている恩師の存在をとても嬉しく思った。

以前は「楽しく生きよう!」と称して、
自分の苦手なことや、時間がかかって複雑ででも重要な事を怠っていた気がする。

他人へのちょっとした嫌悪感も、そう感じてしまう自分のほうを責めていた。

気取ることや隠すこと、いつでも笑顔でいることをやめた。
赤裸々にいることで、「本当の私」ではダメな人とは距離ができていいと思うようになった。

そんな笑顔で調子がいい時にしか一緒にいて楽しめない友人とは、浅くしか繋がれない。
深い話ができないのって嫌だと思ったから。

暗いこと(たぶん私の過去や現在はそれに含まれる)を話してると良くないことを引き寄せちゃう、
そんなことを言う人もいる。

でも、ポジティブなことを言っていても碌でもない人が寄って来ることはよくある。

むしろ「明るいこと」しか言ってないと馬鹿にされたり、何言っても怒らないと下に見られたり、この子は苦労したことがないんだろうとか(親に愛されて育ったんだねとかね)悩み無さそうだよねって簡単に言われたりして、
酷く傷ついていた自分がいたのだから。

大事なのは自分に正直に在ることなんだ。

特に私みたいに過去に現在に問題を抱えている人は、無理にポジティブになろうとすると自分の感情がわからなくなってしまうので。
一種の麻痺だ。
自分が傷ついていた事に、気づかない。

暗い話でもそれがネガティヴとは限らない。
私は真剣に話ができる人たちと繋がっていたい。

予想以上に長文になってしまいました。笑
結局何が言いたかったかというと、

希望を捨てずに居れば、ちいさな幸せに気づくことができるってこと。

諦めやネガティヴ思考に支配されてしまえば、幸せに気づけないし、
自分を偽ってしまえば真に大切な人と出会えていなかったんだろうという事。

本当に感謝しかありません。
この病気になったことは、私の人生においてやっぱり大きいと思う。
肩の力を抜いて、休日には予定を何も入れなくても罪悪感を感じずに、
気合や根性論ではなく医療や専門家に頼る。

たくさんのことを学んでます。
本当に、感謝を。
いつか恩返しができるように、生きていきたいです。

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