いじめ被害者の私が一番許せなかったこと

 私は小学校の後半、いじめに遭っていた。クラス全員に無視されるのは、まだ楽な方だった。本でも読んでれば好きに過ごせたし、行事などは適当にさぼっていれば良かった。エスカレートしてきて、階段の一番上から突き落とされそうになったり、耳元で大声で叫ばれるようになったり、机の上に「死ね」と彫刻刀で掘られたりしたので、身の危険を感じて、途中から学校に行くのをやめた。唯一参加した卒業式も、一人だけワンピースを着ていた、お嬢様ぶっているという理由で、複数人に呼び出されてボコボコにされそうになって、逃げた。先生も誰も味方になってくれず、人を信じられないという性質が出来上がったのは、この黒歴史がきっかけだった。

 六年生当時、クラスは二つあって、一クラスは二十五人くらいだったと思う。全部で五十人に満たないくらいなので、学年の全員の顔と名前が一致するような小さな世界だった。でも、いじめに会っていたのはクラス内で、隣のクラスの子とは割と普通に会話ができていた。いじめの話も話していた。

 卒業してから、大学を出て社会人になるといじめの記憶は少しずつ封印されていったが、当時の加害者を憎む気持ちは忘れていなかった。小学校時代はなかったことにしようと思い、アルバムも全て処分した。

 隣のクラスにいたAとは、家が近いこともあり、成人してからも、道で会ったら世間話をし、地元のお祭りで会えば一緒に神輿を担いだ。Aは、いつも笑顔で、誰にも物怖じしないで話ができ、誰からも好かれる、私とは真逆な人間だった。卒業式のとき、唯一まともな会話をしたのもAだったと思う。

 ある日、Aから久しぶりに連絡がきた。同窓会の連絡だった。三十歳の記念だから、全員集めたいと言う。小学校時代のことは私の中で、終わったできごとなので、Aに私は行けないと連絡した。すると、Aは、「みんなで集まればきっと楽しいよ。○○ちゃんも子ども生まれて良いママになってるよ」と言う。

 そして、私を卒業式の日、呼び出した加害者の名前を出した。小学校の頃の私がまだ心の奥にいて、一人で泣いているような錯覚に陥った。たった一人で、誰も知り合いのいない、小学校時代のコミュニティがすでに出来あがっている地区外の中学に入るのがどれだけ怖かったか。高校でまた友達ができず、小学校に逆戻りすると怯えた日々。大学に入って、苦しみながらも人間関係を築いたこと。就職してから、また職場になじめず、何度もやめようと思ったこと。苦労して積み上げた日々が全部、無になって、小学校の頃の心が完全にむき出しのメンタリティに戻った気がした。

 不思議と現実の涙は出なかった。加害者のことよりも、Aが全てを忘れていて、私を同窓会に普通に誘うことが、私のメンタルをここまで揺さぶった。私は、Aを決して許さないと思う。これからも。


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