正論が欲しいわけではない

 ノンセクを初めて理解してくれたと思っていた、彼と連絡が取れなくなって、メンタルがやられていた頃、私は友達と会うことができなくなっていた。彼のことを友達に聞かれるのも嫌だし、何か聞かれて平静でいられなかった。友達は家庭があったり、それぞれ充実しているように見えた。幸せそうな友達の話にまざるのが耐えられなかったというのもある。

 会えなくなったのには、きっかけがある。友達数人で会ったとき、彼の話をすると、「もう連絡が取れなくなった人とは、これから先きっとうまく行かない」「次の人を探した方がいい」と言われたからだ。そして、私が上手く返事を紡ぎだせないでいると、話題は次に移っていった。私は、友達の盛り上がり笑う声に、心がどんどん置き去りにされていくのを感じた。

 友達としては正論を言ったかもしれない。あのときの私には、正論は何も響かない。今ならわかる。もし、正論を言いたいなら、それを話す時間をきちんと作って、静かなところで、相手の話をきちんと聞いた上で正論を言わないとだめだ。私の苦しみが、普通の話題の一つとして片付けられてしまった。そう思い、私は苦しんだ。当時の私は、上手く言語化できなかったから、ただ距離を置くことしかできなかった。

 そうして数年経って、自分の気持ちが落ち着いてから、少しずつ友達に会えるようになった。

 正論は響くとは限らないし、正論が欲しい訳ではない。


 

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