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会のタイトルについて

 私は、何かに名前を付けるときには、なるべく、それだけを見て理解できるものにしたいと考えています。過去におこなった催し物の例だと「社会学研究互助会」とか「日米政治学史茶話会」とか「ゲーム研究読書会」とか「社会哲学古典合宿読書会」とかいった具合です。本会のタイトルもそうなっていて、このタイトルに追加の説明は要らないでしょう。このタイトルは〈哲学を専門としない人たちが集まって哲学の入門書を読む〉と述べており、実際にそのとおりのことをしようとしています
 本会は、朝日カルチャーセンターでおこなっている「非哲学者による非哲学者のための(非)哲学の講義」のスピンオフ企画ですが、こちらのタイトルのほうは少し説明が必要かもしれません。これは、「哲学を専門としない人たちが哲学を専門としない人たちを集めて哲学に関する講義をおこなうが、それが哲学に属するものであるかどうかは頓着しない」と言おうとしています。

 タイトルを見てもわからないことについていうと、どちらの会でも「他人が書いたものをどう読むか」を主要課題としています。この同じ課題を、「(非)哲学の講義」ではニューソート系自己啓発書の古典を講読しながら考えていますし、「哲学入門読書会」では哲学の入門書を対象として読みながら考えようとしています。
 もともとこれらの会は、「難しい哲学書の読み方を教えてほしい」というリクエストに応えて始めたものでした。このリクエストに対して、私たちは〈難しい哲学書の〉という部分を外して答えたので、課題が「他人が書いた(難しくない)ものをどう読むか」になりました。課題がこうであるからには、タイトルの方も、たとえば「人生がときめく読み方・考え方の魔法」とかにしてもよかったのですが、しかしそうはせずに「哲学」という文字は残したわけです。その理由を問われると私たちにも答えるのが難しいのですが、しかし一つはっきりと言えるのは、タイトルを変えれば、それに応じて集まる人たちも変わるだろう、ということです。私と吉川さんは、私たちと同様に、哲学に何らかの関心がある哲学の専門家ではない人たちに集まってほしかったわけです。「なぜそうなのか」と問われると再び答えるのは難しいですが、それでも、世の中に「哲学に何らかの関心がある哲学の専門家ではない人たち」というのが一定数いることを当てにしていて、それは「人生がときめく読み方・考え方の魔法」というタイトルで集まる人たちよりは遥かに少ないだろうけれど、しかし私たち自身はそちらの方に顔を向けている、というわけです。

 会のタイトルに「哲学」が入っている漠然とした理由は以上のとおりです。私と吉川さんは哲学の専門家ではないので、どちらの会においても、基本的には、哲学に関する知識をお話しするつもりはありません。「哲学とは何か」というお話をするつもりは更になおさらありません。ただそれでも、「哲学」の名を冠したうえで上に述べた主要課題に取り組むことについて、述べられることはもう少しあります。
 問おうとしているのは「どう読んだらいいか・どうしたら読めるか」といった問いです。これに対する答えは「こうすればよい」といったかたちをとるはずですが、私たちはその答えが得られればそれでよい、とは考えていません。あわせて「なぜそういえるのか」という理由を言葉でもって述べたい。そしてまた、その答えに、「実際のところ私たちはどう読んでいるのか」という反省を経由してアプローチしたい。「こうすればうまくいく」というのは技術に属する答えですが、それだけでなく、あわせて理由と反省を言葉でもって述べたいわけです。会の名前に「哲学」を付けた理由の一つはここにあります。そして、「哲学」という名前をこのような仕方で使うことについては、おそらく多くの哲学の専門家たちも反対はしないでしょう。
 そう述べたうえで付け加えなければならないのは、しかし、これが哲学の苦手としている事柄でもあるだろう、ということです。「読む」というのは様々な事象に支えられて初めて成立する現象ですが、その条件のなかには少なくとも、〈読まれるものを書く〉と〈書かれたものを読む〉という活動がセットで成立することが含まれています。そしてこのどちらも、技能の発揮に関わる事柄です。そしてまさに、私が思うには、技能の把握こそ、哲学が典型的に苦手としているものの一つなのです。なぜかというと、技能の検討のためには 実際に行われている活動の詳細な記述・分析が必要ですが、哲学は──現象を概念的に大雑把に把握することは得意でも──実際に生じている事柄の詳細な把握は苦手としているからです(私は、この指摘に対して多くの哲学の専門家たちは認めてくれるだろうと想像しています)。

 というわけで。一方で私たちは、哲学という名前と姿勢を尊重するつもりでいますが、他方では、私たちの目的のためには哲学だけでは足りないだろうとも考えているわけです。後者の点については、この会で対象文献を読み進めながら、折に触れて少しずつお話ししていければと考えています。

酒井泰斗


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