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あの不倫事件と、140字じゃ収まらない日々のこと

今話題のあの不倫事件を起点に、日々のことをつらつらと綴り、私が本を読んだり文章を書いたりする理由を考えてみた。“音声データ”が流出したあの不倫事件。女性がしてはいけないことをしたというのは事実であれど、SNSで女性に対する誹謗中傷と、父である男性を応援するコメントの数々は許せない。父である、あの男性に、同情できない母親がここにいることを、書き残しておこう。


実は子どもを産んでから半年以上のほぼ完全ワンオペで、精神を壊した私。(“病んだ”というより“壊した”という感覚が、自分に合っている気がするので、そう書いておく。)実親に応援を頼み、その後始まった夫の育休。育休が始まった瞬間に「終わっていない仕事を手伝ってほしい」と頼まれ、私が160ページのワケワカメな資料を読む羽目に。(しかも夫は1ページも読んでいなかった!)家ではもちろん、子どもを連れての出かけ先でも資料を読む私の前で、夫は私が資料を読み始めたタイミングでしか仕事を始めない!そのまま2週間が経過して、私が「“育児”する気ある!?先に仕事終わらせてくれない!?」とブチギレたときには、すでに育休の半分が終わっていた

ある日、私が本を売ってゲットした電子マネー。夫は「自分のことに使ったら良いよ」と言ってくれていて、その金額で買える本を見つけた。子どもがもう少し大きくなったら買おうと思っていたのだけれど、ある日スーパーでお会計のとき、夫から「あの電子マネー使ってないんだっけ?」と聞かれた。あのとき、私が「使いたくない」と言えば、使わずに済んだことはわかってる。でも「使ってないんだっけ?」と聞かれたら、使ってないのだ、残っているのだ。それ以上、話す体力が無かった

昨年は、部屋のスペース確保のために、いろんな物を処分した。年末には、家事育児に加えて片付けまで手が回らず、不用品の処分は夫に頼んだ。夫の買った除湿機やフィットネスバイクは、ネットを駆使して出品し、それなりに高値で売れたらしい。私が学生時代から使った一人用鍋は150円で、使おうと思っていた藤カゴは10円で、リユース品を扱う店舗へ渡ってしまった。(1年間しか使わなかった私のカーペットも、リユース店へ持って行ったようだが買い取られなかったらしい!)「処分して」と頼んだのは私だが、思い出の品を(しかも使おうと思っていた物まで!)こうも雑に扱われてしまうと、心が折れた

「赤ちゃんがいると買い物も大変だし、まとめ買いするとポイントも貯まるから」と買ってくれる日用品は、タイミング悪く、やっと子が眠りについたと思った頃に、山のように届く。眠れなくなってご機嫌斜めな子を抱っこしたまま、ダンボールを開けて…緩衝材を捨てて…まとめ買いされたそれらを整理する日々が、これまでどれだけあっただろう。いよいよ整理が追いつかなくなって、これも年末にまとめて片付け…と思ったら、結局年始まで、家の片付けをやっていた。大掃除なんてする暇がなくて、もうすぐ活発に動き始めるであろう我が子のために、毎日少しずつ部屋を片付けるだけで精一杯だった

遠出をした日、外出先で私が食べたかったクレープは「なんかちょっと小さいね」と言われたので食べず(私が「食べたい」と言えば食べられたことはわかってるのだ!)、寒い中、夫が食べたいと言ったソフトクリームを食べた。たしかに、クレープは小さかったし、大きさの割に高かった。けれど、メイクにもネイルにもオシャレにもとことん興味のない私なのだ。お出かけ先でちょっとくらい贅沢しても良いじゃないか!会社帰りに買って来てくれるスーパーのケーキより、ドーナツより、こういうのが食べたいんだよ!最近流行りの映えるやつ、ひとつやふたつ食べたっていいじゃない!せっかくのお出かけなんだもの、美味しくなかったときは、今回はちょっと失敗だったね!と笑っておくれよ。

年始には、義実家へテレビ電話をした。私が大変だったことを知っている義母の第一声はおばあちゃん(私の祖母)元気!?」だった。(私の体調を案ずる言葉はなんと最後まで無かった!)たしかに、私の祖母はだいぶ記憶が曖昧で、施設へ入れるか入れまいか、家族でも話していたところなのだが、私の実家は海の向こうだし、なんせ私は家事育児(それに片付け!)で手一杯だ。知らんがな、母に聞いておくれよ。一緒に話していた夫が、一言でも、冗談でも、笑ってでも、「こいつ(私)の心配もしてやって」に近いことを言ってくれたなら、こんなに心は荒れないだろう。

育児で夫に思うことは、次から次へと溢れてくる。歩道があるなら歩道を歩いてほしいな。車道側に寄らないでほしいな。せめて子どもがいるときは、信号が赤なら横断歩道を渡らないでほしいな。子どもを椅子に座らせたまま、トイレに行かないでほしいな。ダイニングテーブルのゴミは捨ててほしいな。脱ぎっぱなしの服は洗濯カゴに入れてほしいな。脱いだ服の袖は伸ばしておいてほしいな。「洗濯物を干して」とお願いしたら、干してくれたよ、でも、今まで干してあった洗濯物は、床で山積みになっているよ。「届いた日用品を収納ボックスに入れておいて」とお願いしたら、入れておいてくれたよ、でも、私が付けたラベリングは無視して乱雑に入れられていて、開けてびっくりしたよ。あなた宛の書類が溜まっていたから「書類を見て」とお願いしたら、見てくれたよ、でも、本当に見ただけだったよ、期日の切れたDMや要らない領収書や説明書を捨ててほしかったんだよ。「よく眠れた?」とよく聞かれるけれど、寝たいだけ眠れた日なんて、産後一度もないよ。「体調大丈夫?」とよく聞かれるけれど、体調万全な日なんて、産後一度もないんだよ。こちらの心配はしなくていいよ、だからせめて子が眠りそうなタイミングで、頼んでいないことをせかせかとやらないでおくれよ。どうか、頼んだことを、頼んだときに、快く、丁寧にやっておくれよ。

周りの人からは「言いたいことは言ったほうが良いよ」「言わないと伝わらないよ」と言われたこともあるし、実母からは「何でもあなたの思う通りにはならないんだよ」と説教を食らったこともある。でも思ってしまうんだよ。なんで気付いてくれないのかなって。なんて気が利かないんだろうって。言わないと伝わらない人じゃなかったのにって。いちいち言っていたら切りがないくらいに、思ってしまうんだよ。

こんなふうに、どんなに幸せそうに見える家庭にも、その家族にしか見えない靄みたいなものが、あるんだと思う。


だから、だから、だから。不倫事件で流出した“音声データ”を聞いたとき、私は泣いた。みんなが「メンヘラだ」「性格が悪い」と騒ぎ立てるあの音声で、めちゃくちゃ泣いた。「寂しかった」という母。そうだよね、寂しいよね、子育てって孤独だよね、泣き止まない子を一晩中抱いていたとき、私も、一言では表せないくらい、“寂しい”という言葉じゃ収まらないくらい、すごくすごく寂しかった、仕事で他人と話せる夫を、通勤中にスマホを触る余裕がある夫を、ゆっくりトイレに行ける夫を、お風呂の中で動画を観ながら寝落ちできる夫を、友達とのご飯や結婚式に気兼ねなく参加できる夫を、何度も何度も何度も、羨ましいと思ったよ。子育てって、ときどき死にたくなるよね。

「俺は家族と仕事の往復しかしてない」と言い張る旦那よ、奥さんは家族と仕事の往復もできず、家に子どもと2人きりの期間がどのくらいあったんだろうね。つわりに耐えて、食べたい物、飲みたい物も我慢して、1年間大事に大事にお腹の中で育てた子を、痛みに耐えて耐えて耐えて産んで、どんなに体調が悪くても、どんなに眠くても、一生懸命に母親になろうと頑張ったのに「母親になれなかった」なんて、言わせないでよ。「死んだら許して」と言う奥さんに、「死んでも許さない」なんて言うなよ。「一児の母なんだから」と詭弁で詰め寄る前に、もっとちゃんと女性として見てあげなよ。あなたは父親である前に、目の前の女性の夫なんでしょう。「もう私のこと好きじゃないじゃん」って、きっともっと、ずっとずーーーーーっと前から思っていた言葉なんじゃないの。あなたはいつから目の前の女性を“妻”ではなく“母親”として見るようになったのですか

子どもがいないときの私なら、彼女を「メンヘラだ」「ヤバい奴」と位置付けたかもしれない。でも、あの家庭の家事と育児と仕事の裏には、“音声データ”に切り取られた以外に、きっともっともっともっと複雑で、数え切れない諸々があったのだと、今の私はそう思う。その諸々を、私が知ることはできないし、彼女の心に寄り添うこともできないけれど、家庭の事情を知らない赤の他人達が、母親の心に土足で踏み込むな!


最近、家庭の中で思うのは、「あぁ、多くの人は“感情が動かない人”なんだ」ということ。良くも悪くも、“感情が動かない人”。私が気になるようなことは気にならなくて、何も思わない人。だから私も“感情が動かない人”になれば、全て解決するのかも…と思うから、何か思うことがあるときは、「無の感情!」と思って乗り切るようにしている。でもそうして、“無の感情を貫くことは、とってもとっても、体力がいる。しかも、感受性が豊かで、人の言葉の重みをたくさん感じて、いろんなことに感動して生きていた自分が消えていくみたいで、怖くて、寂しい。だから、“無の感情”に疲れたり、怖くなったり、寂しくなったりしたら、本を読むことや文章を書くことに逃げようと思う。本を読んで心が動いたり、文章を書いて気持ちを吐き出すと、「あぁ私の感情はまだここにあるから、大丈夫」という気持ちになれる。

それから、「やっぱり働かなくちゃ」という気持ちも、最近は現実味を帯びてきた。物欲はほとんど無い性格だけれど、子どもがいるとなると変わってくる。少しでも家事育児が楽になるならと、あれも使ってみたいし、これも試してみたいという物が次々に出てくる。そろそろお風呂に敷くマットや、お風呂で使えるおもちゃなんかも必要だ。

今や「食洗機、乾燥機、ルンバが無い育児は昭和の育児」とも言われているけれど、我が家ではどれも使っていない。夫から「食洗機は結局手洗いが必要だから」と言われたし、乾燥機もあるけれど、夫から「電気代が高くつく」と聞いて、布団乾燥しかしたことがない。

子どもとの散歩には水筒を持って行くことが多いし、「今日はお昼を手抜きしよう!」と意気込んだ日も、結局スーパーで一番安いサンドウィッチを選んでしまう。周りから「家事は手を抜いてナンボ」「たまには一人で贅沢しなよ」などと言われても、それができないのが私の性格ってものなのだ。

最近ふと、「少し働いてみようか」という気になったのは、「自分で自由に使えるお金があったら、もう少し楽に生きられるんじゃないか」と思ったからだ。一人暮らしのときは、欲しい物をリストにして、優先順位をつけて、いくら貯まったらこれを買う!と決めて、少しずつ生活を整えていくのが好きだったのだけど、結婚して、専業主婦になってからは、そういうことができなくなった。夫が稼いだお金を使っているわけだし、何よりこれが欲しい!と決めて相談したところで、「こういうのもあるよ」と違う物を勧められたり、デメリットを見つけられることもあったりで、いざ買うとなっても、最初に言っていた物とは違ったり、買うまでにすごくラグがあったり…そういうことに、とにかくすごく疲れてしまった。働くことに関して、以前は、「子が離乳するまで…」とか、「幼稚園に入ったら…」とか考えていたけれど、まずはパートでもバイトでも、やりたい仕事を見つけて、とりあえず応募してみようと思った。(すぐに働けるとは限らないし、選考が通ったら、あとはそのときに考えれば良い!)欲しい物を欲しいときに買ったり、たまには贅沢をしたりと人間らしく生きていくために、何より、家庭があったって子どもがいたって、誰に頼るでもなく、また自分の足で歩けるように、粛々と準備を始めようと思う。


こうして私が考えている日にも、子は元気に泣き、コロコロと寝返りし、ケラケラと笑っている。

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