見出し画像

絵を見るのが好き

東京で、国立近代美術館の「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアートコレクション」と、東京都美術館の「デ・キリコ展」を観てきた。

昼前に東京に着いてホテルに荷物を預けて、美術館に向かって出発。
メインは「デ・キリコ展」の心づもりで、まずはモダンアートコレクションの方をサクッと観てしまおう、と竹橋の美術館に向かったのだった。

ところがだ。
このモダンアートコレクションが、超絶面白かった。
パリ、東京、大阪、の美術館が持っている絵の中からテーマ的に共通項のものを並べてあってとても興味深かったし、いかにもな名画、ではないものが多かったのが逆に貴重で面白かった。

「サクッと」見て終わらせるつもりが、時計を見たら15時近い。
でも「MOMATコレクション」もちょっと見たい。
こっちこそ「サクッと」のつもりで行ったが、こっちもとても「サクッと」終わらせられるようなものではなく、原田直次郎の「騎龍観音」の前に来た時には「これ、ここにあったのか!」と「やっと出会えた!」的な感動でしばし動けなかったりした。

しかし、東京滞在の時間は限られている。
今日中に何としてもキリコ展も見てしまわなければならないので、最後は少し駆け足で見て、急いで上野へ向かった。

シュルレアリスム前夜のキリコの無機質さ、というのがすごく好きで、広場、建物から伸びる影、三角の旗がはためく塔、など、不思議な寂寥感や静寂に何故か癒される。
絵具の感触が生々しい原画を前に、絵の中に吸い込まれてあの広場に立ちたい、という欲求が湧き出てくる。

なんとか閉館直前に見終えることが出来て、送り出しの音楽に押されながら外へ。
お昼抜きで6時間近く、立ちっぱなしの歩きっぱなしだった。
スタバで冷たい飲み物を買って、噴水のほとりで一息ついていたら、空がどんどん暗くなって風が吹き始めたので、慌てて帰路についた。


絵を見るのが好きだ。
私にその「絵を見る楽しみ」を教えてくれたのは、小学校の図工の先生だった。
若い女の先生で、地味で内向的な感じの、いかにも「絵ばっかり描いてきたんだろうな」とイメージできてしまうような感じの(偏見にすぎるかもしれないが)人だった。

図工の授業というのは大体が作業に終始するものだが、その先生は授業の最初に名画を見せる時間を持った。
声の小さい大人しい先生が「今日はミロという画家の絵です。よくミロよ(笑)」と照れ臭そうに冗談を言ったのをよく覚えている。

その時間にいろんな画家の絵を見るのが、私はとても楽しみだった。
自分は絵が壊滅的に描けないので、見たものを見たとおりに書いたり、実在しないものを実在するものの様に書いたり、見たものを感じたままに書いたり、その人にしかわからない表現で描いたり、という、要するに「描きたいものを描きたいように描ける」画家、と言う人種に神を崇めるような果てしない憧れを抱いたし、その人の感性が描き出された絵を見るのが面白くて仕方なかった。

その先生の絵の指導も独特で、クロッキー帳というのを一人1冊ずつ持たされ、授業の最初に絵を見る時間の他にクロッキーの時間があった。
5分か10分かそのくらいの時間で、その時にランダムに選ばれたモデルになった友達を鉛筆で描くのだが、「下から(足から)描く」「消しゴムを使わないで描く」というものだった。
線を何度重ねてもいいから、消しゴムは使ってはダメ、と。
なかなか全身を描き上げることはできないが、描けたところまでのものを一人一人見て、一言アドバイスをくれるのだ。
私は最初のうちは、モデルの膝ぐらいまで書くのがせいぜいだったが、何度も書くうちにだんだん全身に近いものが描けるようになり、なんだか写実的な仕上がりにもなり、絵の描けない自分にこんなそれなりのものが描ける、というのが不思議だった。

私が小学校3年~4年ぐらいの時だったと思う。
小学校~高校までの学生時代を通じて、図工、美術の先生で覚えているのはこの先生だけだ。
貴重な出会いだったんだなと、今更ながら思う。

さて、この夏、他にも行きたい美術展はいろいろある。
次はどこに行こうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?