『新・のび太の日本誕生』(2016年)と0点の答案が紡ぐ歴史【映画ドラえもん感想】

2016年公開『映画ドラえもん 新・のび太の日本誕生』
2024年2月5日 AmazonPrimeVideoにて鑑賞

 出た!見事な傑作!アダプテーションのお手本!

 まず冒頭のククルが登場するシーンから、作画が目をみはる完璧さで驚いた。今までのシリーズにあった揺らぎのある線とも、前作『宇宙英雄記』や普段のTVシリーズのような普通の線とも違う、とても自然だけど映画的で豊かな質感のある描線の人物。景色や水の繊細さ。新シリーズ11作目のここに来てやっと、ちょうどいいバランスの良質な作画が完成していると言っていいと思う。
 続く野比家を中心とした日常のアバンシークエンスも、手前のアイテム越しに人物を見せるようなショットが多く映画的な奥行きを感じる絵で味わい深い。

 しかしさらに感動的なのは、日常のシーンからすでに今作のテーマや人物の感情の流れに対して、極めて誠実な語りが行われていることだ。
 それぞれのキャラクターたちが家出に至る一連の過程は、深刻すぎず適度に笑わせつつも、各人の怒りや悩みをとても切実に感じさせるバランスの演出だった。声優陣の演技もいつにも増して深みがあったように思う。
 特にのび太の物語の描き方は素晴らしい。原作には重要ではあるけれど終盤に1回しか登場しない「0点の答案」というアイテムを最初から登場させ、ママとの確執と家出願望、空想動物への憧れ、ドラえもんの保護者としてのスタンスといったこの物語で重要なテーマ的要素をさりげなく自然に提示している。半ばギャグ的なアイテムだった「0点の答案」にここまでの役割を担わせるのは、最後に理由がわかる。
 もう一つ、原作では1エピソードとして登場しただけの、ドラえもんの家出の原因となる「ハムスター」も、やはりこれ以上無いほど有効活用される。(ちなみにドラえもんが家出してきたときの表情、原作の顔がめちゃめちゃかわいいんだけど、今回の映画ではそのかわいさのニュアンスを的確にアニメ化したような表情を絶妙なタメ込みで見せてくれて、思わず拍手してしまった。)パパの「狭い場所にいちゃ息が詰まる」という思いやりのセリフを引き出してママの反省・成長というサイドストーリーを浮かび上がらせるにとどまらず、終盤に映る小道具で2人がハムスターを大切に扱っていたことも示唆され、作中でののび太の物語と呼応して温かい気持ちになる。

 それからユーモアのさり気なさも特筆したい。個人的には、部屋が水浸しになってからの「通りぬけフープ」を使った雑な解決方法がツボだった。あとみんな好きであろうところでいうと、スネ夫がジャイアンを撮影する時のスムーズすぎる軽口は何度見ても最高に笑える。
 ユーモアというわけではないけれど、キャラクター一人ひとりの個性を感じさせてくれる演出も楽しくて、ほほえましい気分になった。例えばドラえもんが初めてドラゾンビを名乗る場面で、後ろのスネ夫、ジャイアン、静香の反応やタイミングが少しずつずれているところなんか、キャラクターへの愛情にあふれていると感じた。

 ほかに細かいところでいうと、2本の絡み合った木を見てペガたちを生み出すことを思いつくのび太の描写は表現としてスマートなのに加え、渡辺歩版『ぼくの生まれた日』におけるのび太のパパが大樹を見て彼の名前を思いつくエピソードがこだまする。行方不明になったのび太を待つ静香が件の「0点の答案」をジッと見つめている描写は、序盤のドラえもんとのび太のやり取りと合わせて、彼女が後にドラえもんに代わってのび太のパートナーになることをじんわり想起させる。前作のレビューで原作シリーズが前提の話作りはイマイチ乗れないというようなことを書いたけど、こうした解釈にワンクッションのある上品な含みは大歓迎だ。

 あまりに細部がよく出来ているので微細なディティールのことばかり書いてしまったが、もちろんストーリー運び全体としても、原作からのアレンジが素晴らしい。

 原作ではデウス・エクス・マキナすぎたタイムパトロールの登場はずっと後に置かれることにより、あくまでのび太やククルたちの物語として解決が結ばれる。それによってのび太を助けに来るのはマンモスからペガ・グリ・ドラコに、マンモスの小箱はククルの犬笛に取って代わるという、完璧なキャラクターと伏線の回収が行われていてその改変の的確さに舌を巻く。

 この作品で描かれるのは人間の反省・成長・発展であり、それはもちろんのび太の物語でありながら、人類の歴史そのものでもある。
 村の再建を道具でコストカットしようとするジャイアンとスネ夫にドラえもんが文明の発展を説く場面では、この作品における歴史改変の線引がはっきりされる。今作では7年前の人々と交流することや、そもそもドラえもんがのび太の未来を変えるため成長の手助けをすることと、原始人に未来の文明を与えたり、ギガゾンビのように歴史を丸ごと作り変えようとすることは、しっかり区別されて描かれている。

 だからこそ、ククルの村の民がギガゾンビを倒す(しかも物語的なロジックも見事にある!)という今リメイク最大の良改変にあたってドラえもんは「偽物の歴史が本物の歴史にかなうわけない」と決定的な結論に至るのだし、そのことと彼がラストで0点の答案を解き直すのび太を見守るのははっきり同一線上にある。のび太が自分自身の努力によって成長するのは「本物の歴史」であり、それをサポートするのがドラえもんの役割だからだ。今作はのび太、そしてママの成長物語である上に、ドラえもんが自分の存在意義を問い直し確認する物語でもあったのだ。ラストにこの3人が揃っているのがとても暗示的だ。
 それにしても、最後の最後に至るまで「0点の答案」がすさまじい物語的意味を持っている。普段はギャグアイテムとして使われるおなじみの小道具がここまで巨大な感動を呼び起こすのは、クレヨンしんちゃん『オトナ帝国の逆襲』における「ひろしのクサい靴下」に匹敵する驚きだ。

 あえて言えば、全体を通してキャラクターの動きがオーバーアクション・情緒過多に感じる場面が多かったのも否めない。でも、これだけ丁寧な作劇と演出がされているのだからしっかり情感を盛り上げるのも悪いことではないとも思う。
 個人的な好みとしては、中盤ククルと両親の再会にあたって、涙ぐむ静香、「おれこういう場面に弱いんだ」と号泣するジャイアン、それを見て笑うのび太とスネ夫、というちょっとドライなテンションの感動演出が好きで、こういう場面にこそグッときてしまう。

 その他、遭難するのび太が見る幻が自立への葛藤というテーマに絞られているなど、原作からのアダプテーションとして見事なところはまだまだあるし、最終決戦に出てくるマンモスロボは『夢幻三剣士』の引用だな、とか、『T・Pぼん』のキャラクターが登場するサプライズ(登場そのものというより、リームとユミ子が同じ画面に居るのが嬉しい!)もあるし、いくら語っても語り尽くせない作品になっている。
 ドラえもん映画の歴史の中でも文句なしに最高水準の作品ではないかと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?