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映画感想『地獄の警備員』(1991年)

10月31日 Amazonプライムビデオにて鑑賞。
※内容のネタバレを含みます

 2回目の鑑賞。改めて観るとますます面白かったし、新しい発見もあった。
 ゴヤのサトゥルヌスやルドンのキュクロープスとイメージが重ねられるような、人の形をした怪物・怪獣としての殺人鬼像を打ち出した映画。理屈も動機も原動力もわからない、はたから見れば単純な暴力装置にしか見えない、だけど本人からすれば確固たるものに基づいて暴力を行使する殺人鬼。その“確固たるもの”に代入されるものは、作家によっては“宗教”や“イノセンス”になるのかもしれないけれど、“時間”だと答えたのが黒沢清らしくてカッコいい。ジャンル映画としてはコンセプト重視すぎるのかもしれないけど、「本当に恐ろしい殺人鬼ってどんなのだろう?」と考えたときにたどり着く一つの究極系が富士丸だと思う。
 松重豊の重要作として見過ごされがちなのが悔しいくらい、彼の演じる富士丸はハマっている。元相撲取りという設定とは明らかにチグハグなスラリとした立ち姿からすでにこの世の論理を超えてる感があるし、彼の顔立ちがやや幼いのも効いてると思う。
 人物の影やシルエットがほぼ全シーンと言ってもいいほど効果的に使われていてこだわりを感じる。富士丸だけでなく、すべてのキャラクターに異質なライティングが当てられ、ドス黒い深淵が露わになる。

 黒沢清にしては人物の描き方が丁寧だった。
 例えば、ヒロインの秋子が男社会の中で窮屈さと恐怖を日常的に味わっていることがエレベーターのシーンで象徴的に示されるし、その後の女性作業員とのやりとりが清涼剤的に効いているのも上手い。
 ベテラン警備員の卑小で人間くさい悪のあり方も、富士丸との対比として重要な役割を果たしていた。
 大杉漣の怪演は映画全体からすれば悪目立ちしている気もしないでもないけど、面白すぎるので良し。

 問題は兵藤である。彼はストーリー上いちおうヒーローにあたる立ち位置なんだろうけど、こぼれた砂糖を乱暴に払う描写や、謎の赤い飲み物を飲む描写、頭を打ち付けられて死にかけてる吉岡に対する扱いの雑さなど、不穏な描写が多すぎる。何よりあんな大惨劇・大損害に遭った直後に「セザンヌの絵を85億で競り落としたぞ!」って嬉しそうにしてて怖すぎる。そもそもセザンヌを買った理由も12課を作った理由も結局は謎だ。ひょっとしたら彼も富士丸と同質の何かを持っている異常な人間で、だからこそ富士丸と対等に渡り合えたのかもしれない。
 彼の深奥に迫るヒントになるのは、やはり“時間”というキーワードだ。これは鑑賞後しばらく経ってから気づいてゾッとしたのだけれど、彼が世界各国との時差感覚を有しているという設定は富士丸の言う「体の中にあんた達とは違う時間が流れている」ことのメタファーなんじゃないか。
 そして秋子もまた、「違う時間」を持っているといえる。「画家の評価は時代によって変わる」と確信を持って言っていることからわかるように、元学芸員の彼女の中には”美術史”という周囲の人にはない時間の流れがあるのだ。そして彼女は、富士丸と一瞬ではあるが心を通わせかける。
 それらのことを考えると、富士丸が灰色の車に乗って登場したのと呼応するように、兵頭もやはり灰色の車に乗って退場し、秋子はそれから逃れるかのように別の道を帰って行くのも示唆的だ。最後に現れる洞口依子は、夫が遭った事件ではなく、本当は彼自体に戦慄していたのかもしれない…。
 こういう一筋縄でいかなさが人によってはノイズかもしれないけど、黒沢ファンとしてはこういった部分こそが最高に面白い。

 『CURE』や『クリーピー 偽りの隣人』といった後に黒沢清が撮る傑作スリラー作品との繋がりを感じる要素もたくさん表れていた。とりわけ、心神喪失者と超越的な存在との端境にあるような富士丸は『CURE』の間宮に、先述したような得体の知れない不穏さに満ちたいちおうの“ヒーロー”である兵頭は『クリーピー』の高倉に、それぞれ進化した形で受け継がれているように思った。

 ラストカットの切れ味がカッコよすぎる。主題歌は哀川翔と前田耕陽の歌う森のくまさん(『勝手にしやがれ!!』シリーズ主題歌)の方が合ってると思う。 

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