andymori「Sunrise&Sunset」、死なない嘘つきたちへ

andymoriの曲「Sunrise&Sunset」が好きだ。

Sunrise&Sunset 嘘つきは死なない
Sunrise&Sunset 争いは止まない
Sunrise&Sunset 欲しいものは尽きない
Sunrise&Sunset 悲しみは消えない

3度繰り返されるこのサビの、「嘘つきは死なない」の部分がミソだと思う。
最初にこのサビが出て来たときは、次の「争いは止まない」と呼応して、「嘘つき(憎むべきもの)は死なない(消滅してほしいのに、消えてくれない)」という風に聞こえる。
言っていることは理解も共感もできるけど、ちょっと言葉がキツすぎるようにも感じる。なんせ歌い出し~サビ前の歌詞が

遠い遠い昔からある花に名前をつけて笑いあおうよ
隠し事はないよ 僕も君も 分かってるんだよ そのままでいてよ

である。1行目の行雲流水とした平和主義な調子から「嘘つきは死なない」への落差は傾斜が急すぎる。それに、僕も君も「隠し事はない」つまり「嘘つき」ではないと宣言してからの〈嘘つき死すべし〉な敵意の表明は、「花に名前をつけて笑い合」う僕や君と、そうではない「嘘つき」たちを峻別する冷酷さや特権意識も感じる。
しかしまた、このアンバランスさこそが魅力であるともいえる。自分の美しい世界をわかってくれない他者への絶対的な拒絶、解消されない心のわだかまり、そして「嘘つき」ではなく「僕」の方に居てほしいという「君」への思いの強さは、穏やかな言葉だけでは表現できない。身勝手で危ういその感情を正直に表す言葉として「嘘つきは死なない」は、少しの戸惑いとともに確かに胸に響く。

しかし、曲の終盤に至って、このフレーズはまた別の意味を持って聞こえる。サビの歌詞が1回だけ次のように変わるのがターニングポイントだ。

Sunrise&Sunset 君からの手紙を
気にしてないよの一言を
忘れたあの歌の続きを
Sunrise&Sunset ずっと待っているんだよ

ここに来て、「僕」の人物像は一気に深みを増す。「僕」は今近くにいない「君」に対して後ろめたさを感じている。何か不義理を働いたのだろうか。そして、その後ろめたさが解消されるよう「君」からの赦しを求めている。「僕」がわだかまりを感じているのは、他者に対してよりもむしろ自分自身に対してのようだ。
ここからすぐに元のサビの歌詞に戻ることで、最後の「嘘つきは死なない」の印象は180度変わる。「嘘つき」とは他者ではなく、より罪深い「僕」ということになる。「嘘つき(自分)は死なない(死んだ方がいいのにのうのうと生きている)」という、途方もない自己否定の言葉と化す。
他者への拒絶・蔑視による自己認識と、自分への自殺願望にも似た自己否定。これはなるほど確かに裏腹に存在しうる。少なくともぼくには痛々しく思い当たる。
この意味の大転換によって、「僕」の不安定で危うい場所から心の平穏を切実に求める思いに、愛おしさと共感を切ないほど抱いてしまう。

とはいえ、この曲は決して暗い歌ではない。メロディや演奏は、まるでスキップするように軽快でリズミカルな楽しい曲だ。この曲を聴きながら歩くと口ずさみながら明るい気分になる。「嘘つき(自分)は死なない(死なないで生きてしまっているのだから、仕方なく生きていこう)」と、どっこい生きてて歩いている自分に、しぶといな、いいぞ、と暖かい野次を飛ばされているような気持ちになる。

「この世には憎い嘘つきばかりいて、一向にいなくなってくれない」も、「嘘ばかりついている僕は死んだ方がいいのに、のうのうと生きている」も、「僕は嘘つきでどうしようもないけど、生きてしまっているのだから、これからも生きて歩きつづけていこう」も、全て「僕」という人間のなかに間違いなくある思いとして肯定し、軽やかに包み込んでくれる。この「嘘つきは死なない」という危なっかしいフレーズは、なんて優しい歌詞なのだろうと思う。

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