性的少数者とラベリングの話①

 私は私自身のことがよくわからないです。いや、正確にはわかるけど、それを伝える言葉がない方が正しいかもしれません。語彙力の問題とかそういうことでもなく、ただただ自分にラベルを貼るのが嫌だという話

ラベリングとは

 形容詞や名詞はしばしば我々を表すラベルとして使われます。「あの人は優しいよね」「私は楽天家です」「私は卑屈でネガティブです」などなど。そのラベリングによって幸せになるときもあれば、苦しむときもあります。幸不幸を操るラベルは大概形容するものが多く、優しい・センスがいい・かわいい・かっこいい・美しいは人を輝かせる力を持ってます。褒め言葉としてもよく使われますし、私が大好きなクィア・アイでも真剣に温かに「素敵」「ゴージャス」「美しい」というから変身する人の心に響いて人生まで変えてしまいます。そして、人生まで変えてしまうほどのラベリングだからこそ、それは凶器にもなります。ブス・デブ・最低・ダサい・臭い・汚いなどのラベルを貼られ、誰からも笑われてるような感覚に陥った人は少なくはないでしょう。また、時には自分でつけたラベルに苦しめられることもあります。それは形容するものであるときとあれば、事実をそのままにつけたラベリングであっても。今回は性的少数者とラベリングの話。

性的少数者のラベルが苦しみを生むようになった歴史

 まずはじめに、なぜ性的少数者が性的少数者であるということに関して苦しむようになったのかの歴史から見ないといけないと思うのでその話から。というのも、多くの人々が知っているとおり、かつての日本(むしろヨーロッパでもそうだったけど)は同性愛に対してそこまでの強い偏見はなかったはずで、織田信長や武田信玄の手紙にも同性の小姓への手紙が見つかっています。正味な話、少年愛と同性愛は質が違うという意見もよくわかるため、これを同性愛とくくっていいのかはわかりませんが、少なくとも同性を愛するハードルは低かったはずです。更にいうと、日本の主な宗教としてあげられる仏教・神道・儒教には性的少数者に関して何も咎めていません。では、日本はヨーロッパに比べて寛容かと言われるとそうでもなく、宗教上・政治上では大きな問題にならなかったものの、村八分や世間体という言葉がある通り周囲の目が厳しい。これは私が調べてもわからなかったのですが、日本でいつからか同性愛者を異常性愛者とみなすようになったのでしょうか。もしわかる方がいたらご教授ください……。
 ただ、こういった価値観の歴史は文化芸術風俗の歴史でもあるため、まずは歌舞伎から紐解いていこうと思います。まず、歌舞伎は安土桃山時代の出雲阿国によって創始された歴史的な芸能です。歌舞伎の創始者は女性であり、その後遊女や若衆(陰間)に広まっていきましたが、流血事件など多くの問題の種になり禁止となり今の野郎歌舞伎となっています。要は浮つくなという理由から現状に落ち着いたわけですが、ここから見れる当時の価値観としては「女性や少年はともかくとして成人の男性に盛る人はそこまでいない」なのかなと思います(勝手な予想であり、この点が少年愛と同性愛を一括にできない理由でもあります)。もう少し時代の背景を見てみましょう。織田信長や武田信玄の男色に代表されるものは小姓にとっても利益があり、出世の近道でした。また、戦場という極端に女性が少ない場において性的欲求を満たすためだったとも言われています。現代でもたまに男子高だと同性カップルが現れると聞きますが、状況として同じことと思えます。江戸時代からはこれまでの安土桃山時代のいわゆる部下への同性愛に加えて同輩への同性愛も生まれてきました。衆道という言葉が生まれたのも江戸時代で、若い美男子との男色という意味として使われるようになりました(若衆への同性愛。年をとったものを念者といったため)。ここまでみると、江戸の初期頃まではそこまで非日常的なものではなかったようにみえます。しかし、ここで江戸時代の人口比率を見ると男性が女性の2倍近くいたようで、戦場ほどではないにしろ男性の人口が多かったようです。こうなってくると出てくるのは男性独身問題。特に、家を継ぐのは子であった時代において独身は家の相続の危機でした。藩によっては衆道を禁止するところもあり、江戸中頃になると衆道が原因の事件も噴出したため問題視されるようになりました。また、戦場ほど女性が少なかったわけでもないため、衆道をしなくても良くなった面もあり、元禄の終わり頃には衆道は目立たなくなりました。おそらくこのあたりが同性愛者への価値観のターニングポイントとなったと思います。徐々に同性愛が衰退していき、開国した日本はヨーロッパの価値観を受けていきました。しまいには、1991年までの広辞苑には同性愛のことを異常性欲とまで書くようになりました。アンダーグラウンドになったとはいえ、大正頃から日本で性科学への関心が高まり、ゲイ文化が増えていったことについては、また機会があって気が向けば別記事に書きます。

ラベルと話題とメディアの話

 ここまでは政治的によって生まれた同性愛の衰退の話でした。次にメディアの話です。今では多く聞く機会はありませんが、「オカマ」という蔑称を皆様覚えているでしょうか。まだLGBTQへの理解がなく、特にゲイとトランスジェンダーと異性装者の区別がなかった頃、全部をひとまとめにしてオカマと言っていた時代がありました。これはストレートの人々の意識の欠如だけが問題ではなく、自分を笑いに変える生存戦略などからオカマを自称するゲイのタレントが多くいたのも要因の一つです。このオカマを巡ってはストレートやゲイなど性愛対象がなんであれ討論が重ねられてきた話題です。近年のオネエなどもそうですが、「オカマやオネエが嫌なゲイがいる」というのは多くの人々が理解するところだと思います。ではなぜこのように世間と彼らですれ違いが起こるのかというと、言葉の捉え方が違うからです。オカマは元々江戸時代のスラングで肛門を意味する言葉ですが、昭和の頃などは性的少数者はオカマと呼ばれることを嫌いました。しかし、自虐的に笑いを取るという生存戦略がある以上、それを自称する人々も出てきました。これがオカマというラベルの誕生です。しかし、ゲイ文化などでは意味が異なり、少なくともゲイ全体をさす言葉ではないという認識が一般でした。そのため、世間ではゲイもトランスジェンダーも女装家の区別もついてない人々が多かったためオカマと全般を指して呼んでいましたが、ゲイ文化では自分はそうじゃないと認識する人が多かったのです。たとえば、とても背の低い中学生が小学生と呼ばれたら嫌なのと同じように、外と内での認識のズレによってこのラベルは苦しみをもたらすようになりました。そして現代ではオネエと置き換えられていますが、世間の認識がそう簡単に変わるわけでもなく、未だにテレビではオネエの指す範囲が広大すぎます。オネエという「お姉さん」を表す言葉については、オカマと同じ嫌悪感の他にも「片方が女役というわけではない」といった認識としての誇りもあります。こういったオカマやオネエというラベルは当事者に苦しみをもたらす一方、話題を生むこともあります。例えばこの記事もそうですし、SNSで多く議論されるように「ある概念に名前がつくと人に説明しやすく、また人も認識しやすい」のです。その結果、今ではLGBTQやジェンダーレス、アセクシャルやノンセクシャルといった性的少数者の言葉が生まれ、広まり、認識の差をなくそうと若い人々が努力をしています。一方でテレビではそういうわけにもいっていないようですが、少なくとも話題が生まれ、そういう人々がいる日常を浸透させているのもまた事実です。

歴史とメディアについて今回は記述したので、次は「必要なラベルと不要なラベル(仮題)」について書きたいと思います。

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