なにかを待っているの

『宝石の国』完結後は『OMORI』の漫画が始まるらしいとのこと、楽しみ。
宝石の国は途中まで読んで、これは一気読みしようとあえて読むのをやめた。私は普段から作品は一気読みタイプだ。物語のライブ感をあえて捨てる読み方は賛否あると思う。ついでに言うとネタバレも気にしない。大事なのはその事実に到達するまでの自分の気持ちであってネタバレをされても、それは変わりようがない。

『OMORI』の話をします。引きこもりの主人公が夢と現実の世界行き来しながら自分自身と友人と罪とに向き合う物語です。原作はゲームなのですが、ゲームらしくプレイヤーにある程度の選択を委ねられています。自分自身に向き合わないということもできるし、友人をないがしろにすることもできます。罪を受け入れない、という選択肢もあります。選択に対する責任をしっかりと負わせてくるのは厭らしい。罪と罰、顛末をしっかりと書ききってくれるのは需要があるからでしょう。かくいう私も悲劇が大好きです。

他人の不幸は蜜の味、は強烈なサディストだけに当てはまる言葉ではない。他人に自分を重ね合わせて泣いたり笑ったりすることのできる共感的マゾヒストにも適用される言葉だ。私はどちらかといえばマゾの人間だ。主人公に自分自身を重ね合わせて鞭打たれる。ありもしない罪を告白して火炙りにされる。でも1人じゃありません。主人公だって同じように地獄の業火に焼かれています。苦しくても痛くても焼印は仲間の印になる。

Twitter(新,X)で『OMORI』を検索すると、ファンアートや感想ツイートで溢れている。みんながみんな焼印を見せ合いっこして仲間を探している。
手の甲に焼き付いた仲間の印。かさぶたが歪なハートになった人、腫れた唇みたいな印もある。みんな自分と同じ印と痛みを持った人を探している。
なにかを探し続ける私たちはきっと主人公オモリと同じ痛みを理解できないでしょう。

寿命が伸びます