「パンズ・ラビリンス」とデル・トロ監督

 暑い日が続きすぎて太陽に怒る元気もない。ナーバスと倦怠感をミキサーにかけて頭からぶちまけたよう。常にずぶ濡れ、黙っていても汗が流れて水たまりができる。

 やることが盛りだくさん(嬉しいね)で朝から晩まで書いては消し……を繰り返す。しかしそれが自分を写したような文章ではない、着飾った文章なのでまぁ大変。着飾った言葉ばかり使っていると本当の自分を忘れてしまいそうになる。日本語なのに外国の言葉を使っているみたい。

 すこし前にしれっとアマプラに追加されウォッチリストに入れておいた「パンズ・ラビリンス」を観ることにした。「パシフィック・リム」とか「ヘルボーイ」「ブレイド2」でオタクの心を鷲掴みしたギレルモ・デル・トロ監督の本作。直視するのもツラい胃もたれするような現実と息を呑むような不思議漆黒の幻想を美しく映し出す。観ている人たちはオフェリアの身に起こる不思議体験が本当のことなのか疑う。発言に耳をそばだて、起こる現象に目を光らせる。
 しかし、そういった行動に意味はない。これは叙述トリックありきのサスペンス映画じゃないから。映し出されるものすべてが本物。オフィリアの母親に起きたこと、オフィリア自身に降りかかる幸福と災難も、すべて映し出される。嘘か本当かを判断するのは無粋なこと。僕たちは目の前にお出しされたデル・トロお手製の料理に頭から突っ込んでやる。これがマナーでしょう。

 デル・トロ監督の作品はおどろおどろしい恐怖と陰惨さのなかにさっぱりとした清々しさがあるのが特徴だ。ダークな作風でありながら胸をすくような気持ちにさせる。パンズ・ラビリンスは空いた胸に悲哀を流し込まれるのだから困った。デル・トロ監督は非常に技巧的な映画監督なのだと思い知らされる。
 どれだけ最悪な展開でも一縷の希望と夢を当事者に与えようとするのはデル・トロ監督の情けでもなんでもなくて、この世の中そうあってほしいという願いのようにも。誰だって残酷な現実だけでは生きられない、夢のなかだけでも。


寿命が伸びます