映画『ブルー・ベルベット』

死んでるようには生きたくはない。他の人間とは違うことがしたい、と抜かしつつ結局決まった習慣と毎日を繰り返す。同じ時間に起きて、同じ飯を食って、同じ体勢で小便をする。同じ時間に横になって寝返りの回数を数えてみるといい、いつの間にか朝になっている。違うことと言えば映画の内容と靴下の柄ぐらいだ。

月末は各映像サブスクサイトで視聴期限が近い作品がリストアップされる。
最初はふ~んこれ観れなくなるのか、ぐらいの気持ちだったのがリストアップされている作品群を眺めていると段々「これ観れなくなるのか……」という気持ちが勝ってくる。なので月末は毎度寝不足になりがちだ。映画なんてもんはなんぼ観てもいいですからね。

コインの裏表のような日々、暴力と情欲、観る者すべてを危険な好奇心へと駆り立てる。『ブルーベルベット』で描かれている日常と非日常はいまとなってはありきたりな男女の関係と暴力と血と怒声だ。私たちがもはや食べ飽きたと言っても過言ではないそれらを顔を背けたくなるほどの眩しい光で照らし出す。私たちは伸びた影を暗闇に探すけれど、意識するよりも先に影はいつの間にか両腕を掴み激しく震えだす。引き込むでもなく引き裂くでもなく、眼の前で起こる出来事から気を逸らせまいとする。爪のない指が皮膚に食い込み、溶けた影の体温が粒となって身体を走る。振り払うべき暗鬱のはずなのに好奇心からそれを受け入れてしまう。

発声のできない父親の姿を見舞ったジェフリーが帰り道で切断された耳を見つけるまでに何を思っていたのか、嗚咽することも許さない現実に絶望していたのではないか。受け止めることもいなすことも容易ではない現実に落ちてきた片耳。蟻が群がるグロテスクなそれを持ち上げたときジェフリーの心は踊ったのではないか。鬱屈した現実を変えるかもしれないピース。切断された耳はアリスが落ちたうさぎ穴と同じだ。

彼の非日常は暴力と欲望で形作られた男の死によって終わりを迎える。だけど日常へと戻れるのだろうか。彼はいまも、道のどこかに落ちている切断された耳を探しているのではないか。悪辣を討つ高揚感を人は忘れることはできない。

寿命が伸びます