諦めないでみようと思った話

テレビを付けたら各党の党首が並んでて、それぞれが掲げたフリップに「国民ひとり○万円」と文字が並んでた。

出たよ、選挙の票集め、お金ばら撒き作戦。そんなこと、ついこの前までお首にも出さなかったくせに。

菅さんが党首選挙に出馬しないと表明して、自民党がなんだか賑やかだったけど、ちっとも興味が湧かなかった。次期総裁を狙って立候補する人たちの話も興味湧かない。誰がやったって大して変わらないもん。一国のリーダー、そのステイタス欲しさ、権力欲しさの人間の欲望合戦。お好きになさいませよ、と思ってた。

選挙について、私はマジメに、自分が投じる一票には責任持たないといけないし、選挙は行くべきと考えている。

だけど、誰が本当に国のため、人のために働いてくれる人か、見極めるのって難しい。

深い付き合いでも、長い付き合いでもない政治家を、街角や新聞、SNSで発信する綺麗事だけで判断するなんて、競馬か競輪、ボートレースに賭けるようなもんだもん。

それでも今まで、そんな賭け事を続けてきた。

一国民の義務と責任を果たさなきゃと思ってた。

思っていたけど、東日本大震災とゆう未曾有の災害が起こり、日本のあちこちで起こる災害を目の当たりにし、想像すらできなかったコロナによる医療崩壊と軟禁生活を経験する中で、政治に対する期待値はだだ下がり。

国のことを決めるのは国会だけど、その国会が嘘と保身のライブ中継なんだもの。

もう諦めてる私が居た。

昨日、ある友達に会うまでは。


その友達のお子さんには、重度の脳障害がある。

彼は今、障がい者の就労と自立のために、自分の会社で障がい者の雇用を作ろうと奮闘してる。資金繰りに苦心しながら24時間戦っている。

彼の話を聞いていると、自分はなんて小さな人間なんだろうと思う。この生き辛い、思うようにならない混沌とした世の中の崖っぷちを、世の中を良くしていくためにどこを掴み、どうよじ登って行くのか、常に考えて登り続けている。ひとりで登れないと思えば仲間を、支援者を、自分に成長が必要だと思えばアドバイザーを求めて、資金も時間も労力も惜しまずに登り続けている。

その彼が、勝手に応援しているとゆう政党の応援を、私に求めてきた。

「誰がやったって世の中変わらなくない?」

その言葉を飲み込んだのは、彼の覚悟と想いが本物だって知ってるから。

そして世の中には、このままじゃいけない問題と、今のままじゃ幸せではない人が存在しているのも確か。

じゃあ、誰なら世の中を変えられるんだろう?

そう考えた時、やっぱりたどり着く答えはひとつ。

世の中を変えられるのは、政治家じゃない。

本気で世の中を変えようと思っている「民意」

それに他ならない。


コロナ禍、この2年間、インフルエンザは全くと言って良いほど流行しなかった。ノロウイルスもだ。ウイルス同士が干渉して、猛威を奮うウイルスがある時には別のウイルスの活動が不活化すると、テレビで専門家が話していたけど、私はそれだけじゃないと感じている。

全世界が本気で行った感染対策。

マスク、手洗い、手指消毒。

感染対策は、一部の人だけが行っても意味がない。圧倒的大多数が行ってこそ効果が出る。

そのことが、コロナウイルスに対する感染対策で証明されたように思う。誰も免疫を持たないコロナウイルスは完全に抑え込めなかったけど、インフルエンザとノロウイルスには絶大な効果があった。

民衆が本気で変えようと思ったら、世の中は変えられることの証明だったんじゃなかろうか。

社会も同じ。

本気の伝播。そして大きな民意になっていくこと、それこそが世の中を変える力。

だから私は、選挙に対する考え方をシフトすることにした。

選ぶのは政治家じゃなく、本気で世の中を良くしようとしてる人。

その人が政治家を志していなくても、政治を職業にしていなくても関係ない。

本気で世の中を良くしようとしてる人の向こうに、必ず政治に携わる人が居る。

立場が弱い人を守り、一人ひとりが大切にされる社会にするためには、どうしても法律や制度を変えなきゃならないことが多い。だとしたら、やっぱり、政治が不可欠。

政治家のことは良く知らないけど、すぐそばにいる友達のことはわかる。

彼の作りたい世の中には、私が好きな笑顔と安心、優しさと思いやりがある。

選挙は、本気の誰かを応援するために参加したら良い。

せっかく一票持ってるんだし。





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