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心落ち着くあたたかいお店には心落ち着くあたたかい人がいる

寒くなってきたからこそ、暖かさが身に沁みる。
柴田ののかです☺︎
役者として出会った人々やご縁と発見、気持ちと想い出を綴るnote.お次は"三叉灯さん"です。

三叉灯、"さんさとう"って読みます。
三叉灯さんは下北沢にあるセレクトショップで、はじめて訪れた大学生の時に寮生に雑貨屋さんと紹介されてからもうずっと雑貨屋さんって言い続けていますね。
たぶんわたしのInstagramを見てくださっている方はうすうすお気づきかもしれませんが、わたしが足繁く通っているお店です、三叉灯さん。
はじめて行ったのが20歳の時なのでお店に行くようになってもう4年になるのかな。

三叉灯はその名の通り、下北沢の三叉路に明かりを灯すあたたかいお店なのです。
前回に引き続き、わたしの大切な人々の紹介で綴ってきたnoteはわたしが役者として出会った様々な"人々"という枠を越えてご縁のできた"場所"についても綴ります。

とはいえ場所や環境をつくるのはそれを構成する人々だから、
場所について綴ることも、人々を綴ることも、
ほぼ同じなんじゃないかなって考えています☺︎

前回のPOPOさんの記事で20歳に遡って話を書いたのですが、
今回の三叉灯さんの記事も20歳に遡って話をします。

三叉灯の看板と灯り、これが下北沢の三叉路をあたたかく照らしている。

人生はじめて下北沢に足を踏み入れた日。
それは当時住んでいた学生寮の寮生と2人でのことでした。大学2年生の9月。

大学時代のわたしは大学と芝居の養成所の合間にしかバイトができない上に生活費や養成所費のこともあって今以上にお金がなくて、
ほかの寮生たちが新宿や渋谷・原宿など都心へ遊びに行く中2人とも定期で安く行けるという理由で下北沢に行きました。

その日はとにかく下北沢を巡ることがメインで食べたり買ったりってことをあまりせず、いろんな店をみて街並みを知ることを目的としていました。
まあ、正直に言うと2人ともお金はないけど出掛けたかったってのと岐阜から上京して憧れの東京の街を知りたかったというのが本音です☺︎

お互いに行きたいお店を選んで巡る、
その中に寮生セレクトの三叉灯がありました。

三叉灯のあたたかさを感じる、レンガのぬくもり。

三叉灯に初めて来たのに、わたしが思ったこと。
「あ、このお店、懐かしい…」
わたしの実家は一軒家なんですけど、外壁がレンガ調なんです。
だから三叉灯のレンガの外壁が目に入った瞬間に実家を思い出して。

先程も言ったんですけど、大学時代は本当にお金がなかったので、実家に帰ることも断念して大学と養成所とバイトに明け暮れていたんです。
上京してからいろんなことに託けて実家に帰らなかったんですよね。帰れなかったし、帰らなかった。

わたしの大学2年生の9月は養成所の進級審査に合格した月で、芝居の基礎をみっちり叩き込んだ一年を経て来月からまた新たな芝居生活が始まろうとしていました。嬉しくても不安だったし、充実してても余裕はなかった。

忙しさの中で心身をすり減らす不安定な東京の日々の中で、まさか実家のような安心感を得られる場所が東京にあるとは思わなくて。
お店の中に入る前からこのお店いいなって思いながら店内に入りました。

三叉灯は一階から三階まで、お菓子・雑貨・服・帽子・本・文具など、いろんな作家さんのいろんなものであふれていました。しかも階段の至るところに商品があって。
一棟まるまるいろんなものであふれているのに、とても落ち着きます。溢れているというよりも満たされているという方がしっくりくるかな。
あの頃の気持ちにもそっくりな感覚ではないかなって思います。

初めて行ったときにもらったスタンプカード、今ではお守りのごとく財布の中に居る。

今となっては初めて行った三叉灯でなにを購入したのか覚えていないのだけど、その時のお会計で一階のカウンターをはさんで三叉灯のお姉さんとたのしく話をしたことは今でも覚えています。

まあ、実際は寮生とわたしにスタンプカードをつくってくださっているときに、
とても明るくて誰とでも親しげに話せる寮生のとなりでまだ人見知りが激しくてなにも話せなかったわたしはお姉さんと寮生がたのしく話をしていたのを聴いていただけなんですけどね☺︎

とても朗らかに笑うお姉さんで、
寮生が今日一日のことをたのしそうに報告して「下北沢にも三叉灯にもまた来ますねー!」って言ったら、
「下北沢はいい街だからいつでもおいで!」って
「三叉灯のことをほめてくれてありがとう」って
下北沢や三叉灯、お客さんへの愛を強く感じたことをわたしは今でも覚えています。

スタンプカードを見て三叉灯に行ったのは大学二年の秋だったよなぁ…って思う。3~10の部分のスタンプがおそらく前回記事にしたPOPOさんの青いワンピースを買った時。

その日からわたしの遊び場は下北沢になりました。いわゆるシモキタですね。
遊び場というか息抜き場。
月一の休息。その時には三叉灯にも訪れました。
一階から三階そして階段…と三叉灯は一棟全体に落ち着く空間が広がっているのですが、わたしは特に三階がすきでした。

今はイベント優先でなくなってしまったのだけど、以前は時折カフェスペースとして開いてることがありました。
カフェスペースの時の三階はBGMがかかってなくてとても静かで、下北沢の三叉路に店を構えているのにどこか街の賑やかさとは切り離されて落ち着きのある空間でした。

三階の部屋の奥に壁掛け時計があるんですけど、
その空間の静けさの中で時計の音に耳をすませ、
その音に合わせて目を瞑って深呼吸をする。
そうすると心がからっぽになるんです。
不安とか焦りとか葛藤でいっぱいになった心から、そういうものが出ていくんです。

何回か深呼吸を繰り返すんですけど、
その後ゆっくり目を開けて部屋全体を見渡し、
その後三階から見える三叉路に目を向ける。
そうすると心がみたされるんです。
落ち着くことのできた自分が人の行き交う下北沢を俯瞰的に見ている感覚のおかげでしゃんと前を向けるのです。

もしかしたら、これが下北沢の三叉路を照らす、三叉灯の気持ちなのかもしれない…なんてね☺︎

溢れそうな自分の気持ちが三叉灯にいくとからっぽになって、三叉灯さんのあたたかい気持ちが冷えた自分の心を満たしてくれる。

進級後変化した生活に馴染むために講師やレッスンに食らいつくので必死だった10月も、
新たな同期の才能との差に劣等感を覚えはじめた11月も三叉灯に足を運んでいました。

ある日三階に行ったらイベント関連でclose中。
この扉が閉まっていることが新鮮だったし、なによりcloseの文字が愛おしく感じて写真におさめていた。

12月の年の瀬。月一の休息日。
また三叉灯にくるといつもと様子が違いました。
三階に入れなかったのです。

あ、入れないんだぁ…って立ち尽くしてたら、
階段で下の方から声を掛けられました。
あの朗らかに笑う三叉灯のお姉さんです。

「ごめんね〜今日はイベント準備で入れないの」って申し訳なさそうに。
あ、そういえば年内最後のイベント控えてるってInstagramでお知らせされてたなって思い出していたら、最後にお姉さんから一言。
「今日は1人?あの明るい子は元気にしてる?待ってるからまた一緒においでね」って。笑顔で。

……え?今なんと……?って驚きの自分。

お姉さんがあの時の寮生を覚えていたことも、
となりにいただけでほぼ喋ってないわたしを覚えていたことも、かなり衝撃的でした。
地味な存在のわたしを記憶してくださったことと頭の片隅に置いといてくださっていたこと。

そして"待っているからいつでもおいで"の言葉。
なにかあってもなくても戻ってきてもいいと思える場所の存在、やっぱりどこか実家のような安心感がここにあると思いました。
心の落ち着きどころ。あたたかさ。
このお姉さんがそういう安心感のある人だから、このお店もそういう安心感があるんだろうなって思いました。

心落ち着くあたたかいお店には
心落ち着くあたたかい人がいる。

"場所や環境をつくるのはそこに居る人なんだ"と知った20歳の冬でした。

ずーっと変わらぬ良さを持ち続けるために、変わっていく三叉灯さんの試み。成長しつづけるってこういうことなのかといつも驚く。そして自分の学びになる。

とはいえ、三叉灯に出会ってからのこの4年間。
ずっと通い続けていたわけではありません。
それはスタンプカードも物語っているけど、2020年3月以降下北沢へ行くこと自体なくなったのです。
コロナの流行でした。大学3年生。
わたしは寮で集団生活をしていた手前、感染予防に関しては厳しく言われていたし、自分も寮生のために気をつけようと外出もしなくなりました。

そして東京でたくさんの挫折が積み重なってしまって東京を離れることにした時期もあったのです。
適応障害でした。大学4年生。
わたしは積み重なった挫折の原因がどれも東京にあった手前、この場から逃げたいと感じていたし療養のために東京にすらいない時もありました。でも寛解して戻ってきた時には卒論や就活の合間を縫って少しだけ足を運べるようになりました。

さらになんとか大学を卒業できた後で仕事のために東京を離れることになったのです。
就職でした。社会人1年目。
わたしは人生を見つめ直すために一人になりたかった手前、行ったこともないかつ誰も知り合いのいない土地に引っ越して大学時代と比べれば足を運べるようにはなったけどそれでも気軽に東京に行けない時もありました。
でもイベントがある時には仕事の休みや時間の合間を縫って月に1回行けるか行けないかくらいに足を運べるようになりました。

ところが、一変。

会社都合による失職を経て再び東京に戻ってくることになったのです。再就職とお芝居のためでした。社会人2年目。今年です。
わたしは人生のけじめをつけたかった手前、一度逃げた場所たちに今の自分ならどうにか立ち向かえるか知りたかったためもう一度やり直そうと東京に戻ってきました。

そして三叉灯にもまた通うようになりました。
前よりも頻度を上げて、月に何度も。

さらにあの朗らかに笑う三叉灯のお姉さんとは、とあるご縁のおかげで親しくなりました。
あの素敵なお姉さんは"まゆきさん"とおっしゃって、今では「まゆきさん」「ののかちゃん」と呼び合う程の間柄でして東京のお母さんぐらいお世話になっています。
顔を覚えてもらってから今日に至るまでたくさんお話しさせていただいたのですが、わたしが夏公演に出ようと思ったきっかけはまゆきさんの一言でした。

養成所生として芝居をした学生時代のわたしも、
社会人として芝居をするようになったわたしも、
三叉灯やまゆきさんに支えられながらここまでやってきました。

人生ってなにが起こるか本当にわかりませんね☺︎

ただ学生の頃の自分とちがうこと。
それはあの時もらった心の安らぎをどうにか返せないかとお客さんとして足を運んだり商品を購入したりするだけでなく、
せっかく役者としてSNSで発信しているんだから自分なりの発信や表現の方法で三叉灯さんのお役に立てたらいいなというのは自分の中の変化だと思います。

改めて役者を名乗り出したからこそ、
まだ生きるとか自分とか進む道とか歩み方とかそんなんもわかっていない学生時代でも、
わからないなりにわたしは役者をすることや表現の世界に存在することに人生かけていたんだなって知って。
そんな危うさを帯びながらも一生懸命に走ってきた自分をあたたかく包み込んでもらった場所に、学生の時とは違う役者像にはなってしまったけど今のわたしなりの役者像としてできることをしてみたいという思いを勝手ながらに抱いています☺︎

もちろん三叉灯が心が落ち着ける、あたたかく、素敵なお店だから色んな人に知ってほしいってのもあるんだけど☺︎

今年の夏公演で仲良くなった座組のメンバーに三叉灯を教えたり、
TEAM909に入団してから劇団員を連れて三叉灯に行ったり。
そこでここ素敵な場所だねって言ってもらえて、自分の大切な場所を大切にしてくれる人とご縁が深まることもまた嬉しいです。すべて三叉灯を通して知ることのできた人々のあたたかさです。

心落ち着くあたたかいお店には
心落ち着くあたたかい人々がいる。

三叉灯から学んだ、
"場所や環境をカタチづくる人々の存在"
ずっと大切にしていきたいです。


お客様にメッセージを伝えるならそのメッセージを伝えるにふさわしい人でありたい役者
柴田ののか


🌟スペシャルサンクス:三叉灯さん

三叉灯
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