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オンナの哲学 -私が生まれた日

誕生日は、誰にとっても特別で大切な日だろう。
親しい人と一緒に祝い、生んでくれた親に感謝するかもしれない。
自分の人生を振り返り、その幸せを改めて実感するのかもしれない。
でも私にとっては長い間、まったく別の意味での特別な日であった。

もう、ずいぶん前のこと。大学を卒業してすぐのことだった。

ゴールデンウイークに入り、誕生日を明日に控えたその夜、私はなぜか胸騒ぎがして、眠れなかった。
そして真夜中過ぎ。誕生日に日付が変わってすぐ、電話が鳴った。
それは、仕事からまだ戻っていなかった父が倒れたという知らせだった。

すぐに残る家族全員で父が運び込まれた病院へ向かったが、父の意識はすでになかった。くも膜下出血ということだった。
ベテランであろう恰幅のいい医師から、回復の見込みはないとあっさり告げられた。私たちが病院に到着した時にはすでに、あらゆる検査が終わっていたそうだが、それでも驚いた。もっと何か、回復のためにできる治療があるのでは?まだ時間があるのでは?母が震えながら尋ねたが、その優しげな医師は申し訳なさそうに「ご親族に連絡された方がいいです」と言うだけだった。

色々な機械にチューブで繋がれベッドに横たわっている父を前にしても、私は状況が受け入れられなかった。「まさかこんなことが自分の人生に起こるなんて」という言葉がエンドレスで頭の中を流れるだけだった。

気付いたら朝になっていて、私のケイタイには続々と「誕生日おめでとう!」のメールが届き始めた。
私は泣きながら、ひとつひとつのメールに返信し、特に親しい友達には電話をかけ自分の状況を伝えた。一緒に誕生日を祝う予定だった彼にも。

「祝ってくれてありがとう、でも、お父さんが急に倒れてもう助からないって言われてる・・」と。

昼過ぎからは親戚が次々とやってきて、母は“その時”に備えて色々な手続きをしにあちこちへ出かけていた。
私はずっと病院にいたが、ただひたすら「今日だけはやめて、せめて今日だけは持ちこたえて、お願い」と心の中で父に訴え続けていた。
意識が無く、何も感じないのか苦しんでいるのかわからない父に対して、こんなことを願うのは不謹慎で親不孝なのかもしれない、私は自分勝手なのかもしれない、と罪悪感を感じながら。

そして長い24時間が終わり、日付が変わってから、父は静かに逝った。
私の誕生日の翌日が、父の命日になった。
それからは、誕生日は私に恐怖と悲しみと後悔を思い出させる日となった。

父の死からしばらくして、私は父という人間のこと、父と自分の関係について見直すことになった。そして見ないふりをしていた数々のトラウマに気づき、対峙し、悩み苦しむ自分探しの日々が始まった。

それから。ずいぶん落ち着き、峠は越えたものの、自分を作りなおしている途中の私には「生まれてきて良かった」とはまだ思えていない。
誕生日をきっかけとして、「生んでくれてありがとう。幸せです」と母に伝えたいが、まだ無理だ。生きてて良かった、という感覚がわからないのだ。

今日は私の誕生日。
この日に思う複雑な感情たちは、ずいぶん整理されてきている。
この日を迎えても、ネガティブな気持ちは湧いてこなくなったのだが。
この日をあと何回迎えたら、私は母に「生まれてきて良かった」と感謝を伝えられるだろうか。

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