ストリップと出会って3ヶ月の私が考える、ストリップショーとは

ストリップを初めてみた日から3ヵ月が経った。

初めて見たストリップショーは、想像していたものとは大きく異なり、気がつけば週に1回、2回とみる頻度が高くなる一方である。

そんな折、Twitterで#わたしを作ったストリップ演目5つ というタグを見かけ、そもそもストリップショーってなんだ、と考え始めた。

まだまだ“つくられている”段階ではあるが、ストリップショーと出会って3ヵ月の私が考える、「ストリップショーとは」を5つの演目を軸に書いてみようと思う。

5つの演目

・私の想像していたザ・ストリップショー 広瀬あいみさん 『18周年作』

・脱ぐことに意味を持たせる 水戸かなさん 『ベトナムの香』

・着替える姿を見せない 鈴木千里さん

・男性を演じる 藤川菜緒さん 『TokyoDreamLand』

・着る喜び 永澤ゆきのさん 『chorus line』

わたしの想像していたストリップショー

ストリップショーに出会う前、「ストリップショーとは、服を脱ぐ過程を見せるショー」だと思っていた。

私の想像していたストリップショーに最も近いと感じるのは、広瀬あいみさんの『18周年作』である。

私の想像していたザ・ストリップショー 広瀬あいみさん 『18周年作』

この演目では、広瀬さんは着物姿で登場する。扇子を用いた舞などを見事に披露しつつ、曲の盛り上がりに合わせて帯をくるくると解き、着物を脱ぐと見せかけ脱ぎかけて、衣装が乱れた状態も魅せる演目である。

この演目を拝見したとき、私はすでに広瀬さんのきれいな裸を拝んだことがあったのだが、それでも、この徐々に服を脱いでいくというのは、踊り子さんのじらすような仕草もあいまって、一体この下にどんな裸が…と想像を掻き立てるものである。場合によっては裸よりもセクシーかもしれない、これを見れるショー、見せるショー、これぞストリップショーと感じる演目であった。

この、ストリップショーでは必ず生じる、“服を脱ぐ”ということに意味付けをし、うまく取り入れていると感じるのは水戸かなさんの『ベトナムの香』である。

脱ぐことに意味を持たせる 水戸かなさん 『ベトナムの香』

この演目は、幕が上がると、こちらに背を向け、男性の遺影の前で正座する喪服姿の水戸さんが現れる。そう、なんとお葬式のシーンからスタートする。遺影の男性はどうやら夫であり、悲しみにくれる水戸さんだったが、あるきっかけで「かつて夫と一緒にすごした楽しい日々までが失われたわけではない」と気づき、喪服を“脱い”で踊る。脱ぐことで、彼女が悲しみのなかから抜け出したことを表現しており見事である。

“脱ぐ”ではなく、”着替える”ショーとしてのストリップ

さて、上述の通り、踊り子さんがどんどん服を脱いでいくショーを想像していた私は、踊り子さんはまず厚着の状態で登場し、だんだんと薄着になっていく、さながら“アルムの森にはじめてやってきたハイジ”のような”脱ぎ続ける”ショーを想像していた。

しかし、実際のストリップショーはというと、踊り子さんは1曲目をドレスで踊り、2曲目は別のドレスで踊り、3曲目でランジェリーチックな衣装で登場し、4曲目で衣装の下に身につけている下着をとる、といった構成のショーが多い。つまり、“脱ぐ”というよりは“着替える”、すなわち早着替えショー、早変わりショーの側面が強いのではないだろうか。

浅草では、この早変わりの様子は、他のダンサーなどが隠し、見せないことが多い。つまり、衣装を変えることが目的であり、客に見せるショーの一部として“着替え”が組み込まれていないことを表している。一方で、ポラ館の個人演目では、隠してくれるダンサーがいないため、着替える背中を“見せる”演目、一度ステージからはけて、着替えたのちに再登場する“見せない”演目の2通りある。未だ私がどの演目でも着替える様子を見たことがない踊り子さんが鈴木千里さんである。

着替える姿を見せない 鈴木千里さん

千里さんは、端正なお顔立ちにハイトーンカラーのワンレンボブヘアという、かわいらしい、というよりはかっこいい印象の踊り子さんである。演目での衣装も、脚のラインがはっきりわかる、タイトなパンツルックが多い。初めて拝見した際は、それまでの踊り子さんたちが皆、ひらひら、ふわふわ、きらきらしたドレススタイルだったため、衝撃的であった。なるほどたしかに、いかにも女性らしいミニスカートから覗く下着もセクシーだが、ボーイッシュなスタイルを好む女性の、そのズボンの下に一体どんな下着を身につけているのか、それも非常に興味深い。そんなスケベ心で千里さんの着替える姿を拝める日をいまかいまかと待っているのだが、残念ながら今日までその日はきていない。

勝手な想像であるが、タイトなズボンを脱ぐ様子を“見せる”ためには、スカートやワンピースよりも時間がかかってしまううえ、美しく脱ぐことが困難なのではないだろうか。“見せない”もの、“見せるレベルに至らないもの”ととらえ、わざと見せていないのではないかと考えている。

この、私の中で勝手にもちあがっていた、“ズボンを美しく素早く脱ぐの難しい問題”に一つの解を出してくれたのが、藤川奈緒さんの 『TokyoDreamLand』である。


男性を演じる 藤川菜緒さん 『TokyoDreamLand』

この演目では、藤川さんは前半でサラリーマンを、後半で風俗嬢を演じる。演じ分けの非常に見事な演目である。前半の終わりに、サラリーマンが一日の仕事を終えて帰宅し、着ていたスーツを”脱ぎ捨てる”。ここで藤川さんが演じているのは、”ボーイッシュな女性”、ではなく、完全な“男性”であるので、ズボンは乱雑に脱ぎ捨ててしまってよいのである。むしろこの脱ぎ方まで様になっていて、後半風俗嬢として登場した際に、女装かと思ってしまうほど、前半の藤川さんは男性そのものである。肝心な脱ぎ捨てたズボンの下の下着は、もちろん男性もののボクサーブリーフなのだが、もはや残念な気持ちにもならず、自然に受け入れていた。

なお、この脱ぎ捨てたスーツの回収も、演目にうまく組み込まれている点が、この演目の完成度を高めていると感じる。

さて、ここまで、ストリップショーが一方的に”脱ぐ”、“脱ぎ続ける”のではなく、“着替える”ショーとしての側面ももつことを述べた。

最後に、ストリップショーでありながら、着替えにおける”脱ぐ”部分ではく、“着る”部分にフォーカスをあてた演目について述べたい。

着る喜び 永澤ゆきのさん 『chorus line』

この演目は、白のシンプルなTシャツに黒のホットパンツで登場する永澤さんが、ダンスのレッスンに打ち込んでいるシーンからスタートする。ステージの端には、ドレスがかけられており、時折そちらを憧れのまなざしで眺める。どうやらショーの主役などの、永澤さんが目指す存在の身につけている衣装のようだ。そしてレッスン後、誰もいなくなったのを見計らってこっそりその憧れのドレスを“着て”踊るというストーリーである。

衣装を身につけたのちの、嬉しそうな、自信に満ち溢れた表情とダンスが素晴らしい演目である。「将来の夢はお嫁さん!」と答える小さな女の子の”夢”が、実はウエディングドレスを着ること、であるのはよくある話ではないだろうか。服というものはときに職業などを象徴する。憧れの服を身につけた際の背筋が伸びるような、高揚感を思い出させてくれる演目である。

おわりに なぜストリップを見ると人は感動するのか

このようにストリップショーには、たった3ヶ月間観賞しただけでも多種多様な演目が存在し、一概に脱ぐショー、着替えるショーと定義づけることは難しい。

今回述べたように“脱ぐ”ことや”着替える”ことに意味をもたせた演目も存在するが、「ストリップショーは単なるエロではない、芸術だ」と主張するならば、「そもそもなぜ脱ぐ必要があるのか」、「なぜ脱ぐことに感動するのか」この点についてしばしば考える。

まだ明確な答えは出せていないが、「文字通り身一つでステージを背負っている踊り子さんの覚悟、責任感を感じるから」と、もう一点、「ダンスと音楽それ自体の表現力が増すため」ではないかと考える。

『chorus line』で触れたように、服はそれ自体で記号として意味をもつ。それを脱ぐことによって、服の情報を排除し、ダンスと音楽を純粋に表現できる、ここに意味があるのではないだろうか。
ストリップショーを見るとなぜ感動するのか、うまく言葉にできない。しかし、それはストリップショーが、言葉で表現しきれないものをダンスと音楽で表現しているため、観客がまた感動を言葉で表しきれないのは、至極当然で、正しいのではないか、そんな気がするのである。

ながながと述べたが、結局、「女性の体は、どんな体でも美しく、それ自体で芸術である」、これが真理であるのも間違いない。すべての踊り子さんが今日も元気に、一表現者としてステージに立ってくださることに感謝したい。

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