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雑談力はどこまで皆をハッピーに出来るのか?

ウェルビーイング。


私は今日のクローズアップ現代で初めて知りました。

今までの世間一般の考え方では、仕事がうまく行くと幸せだと思われていましたが、実は…

幸せだから仕事がうまく行く、生産性が上がるとのことでした。


ざっくりまとめますと。

要は社員同士のコミュニケーションをしていくと生産性が上がります、ということです。

幸せだとなんか上手くいく。
という感じかな。

組織の連帯感が大事であり、
1人の悩みを他人事にしないようにしていくとかなんとか意識をするといいみたいです。
ただ役職があり、上下関係というものがあるので、何でもない自分を作るのが難しいという課題があるとのこと。

番組での内容はざっとこんな感じだったかな。
なにせお皿洗いしながら聞いていたものですから。

つまり役職に縛られずに自分をさらけ出せるかということですね、多分。

『嫌われる勇気』のアドラーさんから言わせると、役職なんてただの名前にしか過ぎないと仰っていましたけどね。


社員同士の雑談をしていくと、なんか上手くいく。
というのが要でした。
会社にとって。
社会にとって。



私は雑談くらいならいいと思う派なんですが、中には根掘り葉掘り聞いてくる人がいて、なんか少し話すと他人の生活のことなのにああした方がいい、こうしたほうがいいと勝手に言う人は苦手ですね。

仕事関連ならいいんですよ。


でも私生活でああだこうだ言われるのは正直嫌です。

それをコミュニケーションだと勘違いする人がいますよね。たまに。

こちらの個人的な目標まで口出しする人に何人か会ってきたので、あなたにワイの何が分かるんだよおいと、言いたくなります。
心の中で言っています。

コミュニケーションも、どこまで突っ込んでいくのかが難しいときがある。

それこそ趣味の話、天気、仕事、テレビドラマなどが無難なんですよね。

結局無難が強いんですよ。
キルケゴールだっけ?
お喋りの殆どが無駄話だと、のたまった人は。

何が言いたいのかというと、コミュニケーションに気を取られて個人の領域に土足で入るのは危ないのではないかということです。

コミュニケーションがしがらみに変わり、それが重荷になる人もいそう。
秘密主義の人もいるので。

雑談を否定している訳ではありません。
ただコミュニケーションという名の支配になるのが怖いと言いたいんですよ。
そういう感じでコミュニケーションを利用する人がいるのも事実なんですよ。本当に。
そういう人は無意識でやってくるからたちが悪い。

そうならない為にも、慎重にコミュニケーションをしなくてはならないと思うのですよ。
慎重に。

あの栗山さんは上手くチームをまとめていたかもしれませんが、日本人で程よくコミュニケーションできる人ってあまりいないんじゃないかな。
チームを上手くまとめる人も。
なんでも相手のことを知っておかないと交流できないと思い込んでいる人は本当にいる。


程よく交流出来ているんだったらSNSがあんなに陰湿にならないのよね。
まあ、SNSは匿名でやれるから大胆になるかもしれないけれど。
程よくコミュニケーションをしていくのには、どうしたらいいのか本当に考えなくてはいけないとワイは感じるのです。

とまあ、コミュニケーションの在り方について考えちゃいました。

コミュニケーションの難しさについては、いつか別の記事で書いてみようかな。
改めて。

つまり、コミュニケーションは適当に、が丁度いいかな。



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