生まれ変わったら
ZOCの初期メンバーが歌うfamily nameよりも新メンバーの歌うfamily nameの方が好きになって、前は明るすぎると思っていた新メンバーの表現がすごく馴染むようになった。乗り越えた絶望の歌という感じがして好きだ。
昔ずっと聴いていた歌をもうあれほどの熱量で聞くことができないさみしさ。昔すごく好きだったあの歌とかあの詩とかあの短歌に出会いなおせる嬉しさ。どちらも好き。変わっていく自分も変わらない自分もどちらも愛していくと決めている。ぜんぶひっくるめてとっても素敵な私だから。
私は気が弱い、と思う。そうは思わないと言われたらそうなのかもしれなくて、でも気が弱いせいで言えなかった(言ってよかったのにと思うよ、私はあの言葉を言う権利があったよ)言葉がたくさんある。そのことは誰にも否定させない。
言いたかった。勇気がなかった。私の言葉が他人を傷つける可能性はできるだけ少ない方が良かった。私が少し呑み込めば全てがうまくいくのなら。私が少し我慢すれば相手がよりいい気分でいることができて、負の感情を抱いた(もしくは抱いているかもしれない)相手を見なくて済むのなら、それはよいことのはずだった。だから何もないふりをして笑うことを覚えた。仮面は素顔に貼りつくという言葉を思い出して、少し怖くなる。演技だったはずのものが少しずつ私になっていく。私を守るための鎧が私の中に溶け込んでいくのが怖くて、それは私ではないと言いたくて、でも言えない、もう分からない、私は私がもう分からない。
今は分からなくていいと思っている、分からないままで歩いていこうと決めている、そんな自分を肯定して、愛していくと決めている。正しいか正しくないかなんて分からないけれど、私みたいなやつが1人や2人コミュニティにいても面白いんじゃないかと思う。自分が何を思っているか分からなくても語ることはできるはずだ。どう分からないのかとかいろいろ、分からなさの解像度を少しだけ上げて語ることはきっと可能だ。
もっといろんなことが知りたい。私は私を知りたいし、目の前に立っているあなたが、どうやって、どうして私の目の前に立っているのか知りたい。
世界の切り取り方って本当にたくさんある。でも、私は言葉でしか物事を受け取ることができない。美しく踊ることも歌うことも、何か心に迫るような絵も彫刻だとかの作品もつくれない。でも、言葉なら。私は言葉でなら世界を切り取ることができるし、私の言葉に逃げ込んでいる時だけはとてもとてもしあわせで、私は言葉ではじめて私を心から肯定することができた。自分のことを好きになれなくて肯定もできなくて苦しくて、でも私の書く言葉だけは私の中で美しく存在してくれた。言葉を書くことだけが私が私として生きる唯一の方法だった。多分今もそうなのだろうと思う。もっと私は私を語りたい。私が抱いた感情を、見た景色を、触れた誰かの心臓を完全に理解することも語ることもできなくて、それでもなんとか語ろうとすること、分からないなりに言葉を重ねていくこと。
生きる意味なんてないという私に、共に考えていこうよ、と言ってくれたあの人や、多分あなたはずっとなにかしら悩みながら生きていく人だと思うよと言ってきたあの人たちと一緒にこれからも生きていきたい。近い将来、もう簡単には会えなくなるのだろうと思う。それでもその人たちからもらった言葉や一瞬手を触れ合わせたあの時の感触の記憶がなくなるわけはなくて、私はそれをずっと抱きしめながら、言葉にしようとしたりできなかったり、言葉にせずにそっと胸にしまったりして生きていくのだろうと思う。
このままでいいよ、何もしなくても私は私らしくもがいて、いろんなものをくぐり抜けてどんどん素敵になっていくんだから、何も問題ないよ。
昨日「今、あなたのよさが一番いい形で出てると思う」(多分こんな感じ)と言われた。私もそう思う。やっと鬱を抜けて、私は私がしたかったことを少しずつできるようになってきた。どうか今が続いて欲しい、どうか。
負のエネルギーの反動で、生のエネルギーがとってもすごい、と言われた。そうなんだよな、私はとてもとても生きたいんだよな。でもなかなかうまくいかなくて、それがとても苦しくて、また落ち込んでしまって死にたくなったりして。でも、ちゃんと生きたいんだ、そのこと忘れたくない、私は地に足をつけて生きていきたい。
願うだけではまた鬱になってしまうから、生活習慣を整えたいな、と考えている。毎日少しのストレッチをするとか、早めに寝るとか、そういうこと。私は私を労わりながら生きていかないといけない、たくさん生きるんだ、不健康になっている暇はない!
少しだけ、ここに書かせてください。すごくどす黒い感情であるような気もして、すごくすごく私を簡単に傷つけうる場所の話だから、ふんわりとだけ書きます。この場所の話をすべて差し出したら私が壊れてしまうけれど、1人で抱えるのも難しい、そんな私にとってとてもたいせつな話。
わたしはアイドルが好きです。私は私の顔や声が好きじゃなかった。歌うことも踊ることもできない自分には価値はないように思えた。可愛い洋服を着ることができなかった(これにはいくつかの事情があり、それはここで語るべきものではないため語らない)。周りに褒められることもない私がとても虚しく、劣等感でいっぱいだった。
幼い頃の私が欲しかったものを詰め込んだらアイドルになるんです。きらきらかわいい女の子、たくさん褒められて、ステージの中で歌って踊ってたくさんの人の希望としてしあわせそうに生きている彼女たちが、私と同じ人間であることを今も受け入れられていない気がするの。
幼い頃の傷ととても関係していて、だから多分私はずっと、これからもアイドルが好き。幼い頃の私を慰めるために私はアイドルを好きでいるのかもしれない。
ZOCのtiffany tiffanyの「生まれ変わったらアイドルになりたかったな」が痛いほど分かる人生だから、靖子ちゃんの新宿の「あのまちを歩く才能がなかったから私 新宿がすき」が分かってしまうから、多分これからもその感覚は私の中に残り続けると思うから。
私は私のこと好きです。でも、たくさん愛せなかった過去も今も未来もあります。ぜんぶひっくるめて肯定したい。そんな話です。
ゼミの発表で全くうまく話せなくて、話そうと思っていたことがいざ話し始めたら全然言葉になってくれなくて、話す練習がしたいと思った。誰かとの会話は基本うまく話せない。いつも落ち込んでしまう。
では。