見出し画像

「もう、どうでもいい」って言える人

大学生の時に、おままごとみたいなお付き合いをした彼女がいて、覚えていないくらい短い期間で別れた。

その子は、リストカットの癖があって、その切った血だらけの写真や血だまりの写真をブログに公開して、日記を書いていた。そしてある時に神経を切ってしまい腕が動かなくなり、閉鎖病棟を出たり入ったりしながら、最後は大学かどこかの研究所の職員として就職できて今はどこで何をしているのか解らないけど、どこかで生きている。
僕の初めての心療内科(精神科)は、その子の勧めでがきっかけだった。

・・・・・・・・・・

その子は毎晩「亡くなったお爺ちゃん」に対しての想いと、「解って欲しいのに解ってもらえない父親や母親、家族に対しての悲しみ」で毎晩眠れないと泣いていた。薬を飲んでも泣いて、お酒は飲まなかったけど、薬の飲み過ぎと、リストカットのし過ぎで、意識がもうろうとした状態でいつも電話がかかってきたのを時々思い出す。

僕は、亡くなったお爺ちゃんに対しては
「亡くなった人に対して今更どうもできないのに、いつまでこの話を続けるのだろう」と思っていた。

家族に対しては共感していたけど、結局は家族と一緒に円満に生きていく事を目的としていた彼女の問題解決は僕の中では「しょうもない」と思っていた。

仲良くなりたいなら仲良くすればいいし、結局、閉鎖病棟に入院して、後遺症が残るかどうかの瀬戸際までいって、家族が「わかってあげられなくて、ごめんね」と本人の前で泣いて父親や母親と泣いて抱き合ったという時点でゲームはクリアするのならば、最初からそこまで難しい事では無いと僕は思っていた。

それが幸せのゴールなのだから、それだけで幸せと満たされるのだから苦労はしないと思った。

そのあとは家族と一緒に居られることに生き甲斐や幸せを感じているのだから、頑張れると思うし、乗り切れると思った。

僕は一気にその子の事が嫌いになった。

当時は僕よりも重い病状の患者ではあったけれど、
乗り越える壁はそこまで大きなものではないと思った。

自傷行為をブログに上げ続けて、公開して、それを生き甲斐、私が生きた証としていた彼女は、運営に不適切なブログとされて削除されたりアカウントを凍結させられると発狂した。

それは間違いなく彼女にとって「生きた証として最重要」なものだったと思ったけど、それより根底には「父親、母親、家族に分かってもらいたい(仲良くなりたい)」というのが目的として合ったので、根源にある問題は解決できると思いながらその子の話をいつも僕は聞いていた。

・・・・・・・・・

他人に解ってもらいたい(自分を受け入れてもらいたい)というのはハードルが高い。理解されて受け入れてもらって愛されるまでには超えなければいけない壁やハードルは大きい。

けれど、家族に対してそれを求めるのは、大きな壁は一つしかないので、亡くなったお爺ちゃんへの想いは成仏させるしか解決方法はないけれど、家族に対して求めるものはそこまでは難しくはない。


他人には押し付けて叶うものでは無い。
他人に求め続けても最後までたどり着くことは出来ない可能性もある。

家族は聖域ではない。
いつまでも解り合えない親子や家族はいる。

自分がそうだ。

僕は母親や家族に対して「理解してもらいたい」「解り合いたい」「仲良くしたい」と愛を求めていない。

「世界で一番、母親が憎い」「生理的に合わない」というのは愛情の裏返しや反対にあるのかもしれないけれど、同族嫌悪や、僕と母親との間には人間としての壁もある。

・・・・・・・・・・

彼女が自分の腕を切り続けた自傷行為は決して安易に出来る事では無い。

けれど僕の自傷行為も、彼女と同じように、行く所まで行って、後遺症として傷が残った所で解決もしなければ、そこに答え(救い)がある訳では無いのだから僕は苦しい。

もし倒れて病院に運ばれたとして、そこに母親が来たら僕は発狂するだろうし、「母親として」看病をしようとしたら「気持ち悪い」「馴れ馴れしくするな」「お前は嫁でも女でも無いから、看病するな、近寄って来るな、気持ち悪い」と発狂するだけだ。

「息子は母親にとって最後の恋人」

こんな気持ち悪い言葉はない。それで「自分の男、旦那のように、気持ち悪く求めてくるあの人」は、僕にとっては「世界で一番死んでほしい、気持ち悪い存在」でしかない。

この連鎖は負の連鎖でしかない。もう深夜の四時だ。

この気持ち悪さが生まれた時点から四時間が経った。

こうして時間を殺している。

何もかもが悪循環。

・・・・・・・・・・・・

人は「どうでもいい」と言えると強いと思う。
僕は「どうでもいい」と言う人が嫌いだ。

「(別に)どうでもいい」と言ってしまえば、何も解決もしない。

けれど「どうでもいい」と言い切ってしまえば、何もかもを強制的に押し通せると思う。その言葉は言い訳と言うより、自分のワガママを通す究極の切り札だと思っている。

だから「どうでもいい」と割り切れる人は強い。
その言葉は無敵に近いものだと思う。

嫌な事から逃げるのも、辛い事から立ち直るのも、前に進むのにも
「どうでもいい」と言えると確かに強い。

「頑張ろう」「やるぞ」という言葉や覚悟の後に
「(別に)どうでもいいけど」を付けることが出来たらいいのにと思う。

「別に死ぬ訳でもあるまいし」とは言えるのに、
「(別にどうでもいい)どうでもええわ」
と言えないのが僕の前に進めない弱さだと思う。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?