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いただきます

最近、お肉をあまり食べなくなった。
全然お肉を食べてないことはない。
健康を考えて、お肉もちゃんと食べてるよ。

でも比較的に野菜が多くなったかな。

あと、必要以上の量も食べなくなった。

腹6分目〜8分目くらいかな。

もちろん歳のせいもあるけどね。

コロナ禍で色々と考える機会があったせいか、最近、「命を頂いている」という感覚が、異様に強くなった。

僕は子供の頃、親から行儀よく食べなさいという躾はあまり受けて来なかった。
良く言えば躾が厳しくなくて自由だった、悪く言えば大事な食育を家庭で学べる機会がなかった。

だから、テレビを見ながら、YouTubeを見ながら、スマホを触りながらご飯を食べることになんの抵抗もなかった。

いつも忙しいから、普段から移動中にパンやおにぎりを食べて、味わうことをあまりしなかった。
日によっては5分くらいしか休憩が取れない日もあるから、あまり噛まずに飲み込んで、驚くほどのスピードで食事を済ましていた。

食べなければ、体が持たない。
「エネルギーを摂取する」
ただその目的を果たすためだけに食べていた。

ただ、最近になってそれが出来なくなった。
出来なくなったというか、やっと気付いた。
僕が食べる一食一食が、とてつもなく大事なことなんだと。

だから、テレビやYouTubeを見ながら、スマホをいじりながらご飯を食べることをやめた。
移動中におざなりに食事を取るのもやめた。

頂いた命に敬意を払えてないんじゃないか。
頂いた命に失礼なんじゃないか。
そう思ったからだ。

感謝しなきゃいけないと思った。
全然感謝が足りてないと思った。

ひと口噛みしめる度に、生きるために犠牲になってくれた命に感謝しなきゃいけない。

お肉はスーパーでパックされた物を買っている。
今まで自分で動物を殺して食べたことは一度もない。
沖縄の友達は、家で飼ってる鶏を締めて血を抜いて毛をむしってた、とか言ってたけどね。
情けないけど、ビビリで臆病者の僕は、鳥を殺して捌くとかは、きっと出来ないだろうな。

僕の代わりに牛や豚や鳥を殺してくれた人、さばいてくれた人、流通や小売の人、口に入れる食べ物に関わった全ての人たちに感謝。

お米や野菜を作ってくれた人たちにも感謝。

もちろん、料理をしてくれるお母さんにも感謝してね。

高校2年生の君に、こんなこと言うのは酷かも知れないね。

だって僕が君の年頃の時は、何にも考えず、腹を満たすために、バクバクと食べまくっていたから。

牛や豚や鶏は、人間から「家畜」と呼ばれている。

家畜は食べていいのに、犬や猫は食べてはいけない。
それは、犬や猫はペットであり、ペットは家族だから。

犬や猫を食べてる国もある。
生きるために。

国の宗教によっては、豚が神様の国、牛が神様の国もあり、その国は豚や牛は食べない。

食べてない国は、食べてる国の歴史や文化を無視して、食べてる国を叩く。

犬猫は家族、家族を食べるだなんてとんでもない国だと。
牛や豚は神様なのに、神様を食べるなんてとんでもない国だと。

生きるためにクジラを食べたら叩かれる。
イルカは人間と同じくらい賢いと言われているから、食べたら「こんなかわいい動物に何てかわいそうなことをするんだ」と叩かれる。

人間は、生き物を勝手に「家畜」と呼び、勝手に生き物を「食べ物」とカテゴライズしておいて、それらを殺して食べながら、動物愛護を訴える。
牛と豚と鶏にだって、生き物には等しく生きる権利はあるはずなのに「家畜」は食べるために生まれ、食べるために育てられる。

「お肉を食べない」という選択肢もある。
色々と考えを巡らせた結果、ベジタリアンになる人もいれば、ビーガンになる人もいるだろうね。
でも、植物だって生きている。
どんなスタンスをとろうが、僕達は命を犠牲にしなければ生きていけない、ということに変わりはない。

自然というものは人間のものでは無い。
誰のものでもない。

昔、九州男の60億分の1という曲があったけど、人口はもうすぐ80億人。
恐ろしいスピードで人口が増え続けている。

その中で、食料が足りなくなるという「食料危機問題」と、食料が足りないと言いつつ毎日何百トンも食料を廃棄している「食料廃棄ロス問題」の相反する問題を抱えている。
どこかの国で餓死する赤ちゃんがいる一方で、先進国では見栄えがいいという理由だけで大量に商品を陳列して、余ったらゴミとして捨てて食べ物を粗末に扱っている。

ここまでした話を俯瞰で見たら、いろんな問題がこじれにこじれているね。
それを勝手に決めてる人間は、なんていい加減で無責任な生き物で、とてもじゃないけど今の世界は健全とは言えない、と思ってしまうよね。

でも、「生きる」ことは「食べる」こと。
私たちは、生きるために、生き物を殺し、それを食べて生きている。

命の上に僕らは成り立っている。
それだけは紛れもない事実。

僕らに出来ることはあるんだろうか?
今、僕に出来ること。

僕は、殺して食べた分、精一杯生きようと思う。
そして、頂いた命に敬意を払い、その命に恥じないように生きようと思う。

もし「約束のネバーランド」みたいに、人間が家畜だったら。

これを機に、君も「食べる」ということについて、少し考えてみてはどうかな?

手を合わせて必ず言おうね。

「命を頂きます」


今日も愛してる

父より


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