音楽とトラウマ。

音楽は好きだ。
そして、トラウマでもある。

中学の吹奏楽部で、私はオーボエをやっていた。
C調の楽器というだけでフルートと迷い、もう一人の子とオーボエにした。
ほどなく、その子は辞めたが。

今思うと、こんな難しくて高価な楽器、絶対やりたくないものだ。

1年生は自分一人。
先輩は2年と3年に一人ずつ。
同じ楽器で悩みを分け合う仲間はいない。

その学校はなんだか妙にガチっていた。コンクールは金賞当たり前で、難しい曲をやる。でも、全国クラスではない。
練習も指導もやたら厳しい。
楽しくやっている、他の学校が羨ましかった。

入部して、最初にやったのが挨拶の練習だった。声が出ていないと怒られる。
そういう気風の部活だった。

細かい経緯はいろいろあるのだが、それらは割愛する。

私はとにかく、下手だった。
練習はした。
家に楽器を持って帰って練習もした。

運指も音色も下手だが、何より音程が安定しなかった。
わからないのだ。
合わせているつもりだが、ズレていると怒られる。

2年の先輩と二人になると、楽曲でその部分は自分しかない音なので、外すことは許されない、そういう箇所が出てくる。

先輩だけでなく、合奏中にも指摘され、怒られる。その度に、すいません、と謝る。
先輩から、お前が出来ないと自分が顧問から怒られる、と更に怒られ、すいませんと言うしかない。

私は、自分がミスをしたり、何か出来なかった度に、すいませんと謝罪しなければならなかった。

これが、後々の自己否定に繋がっているようだ。

私は、ながらく音楽室から出る、というイメージを持つことが出来ないまま、囚われていた。
そこからは出られたが、未だに否定されるイメージを拭うことが出来ない。


朝練、休日も練習、その他の生活と相俟って、中1の冬に潰れた。

あとは殆ど中学には行っていない。

その時、うつだったのかはもうわからない。いつから、どうメンタルが病んだのか、よくわからない。

ただ、自分が否定され、出来ないことそのものを謝罪し続けるという行為は、間違いなく、何かを歪めた。

10代から20代にかけての不安定、病的な精神状態は、ここから始まった。

くだらないこと、と思われるかもしれないが、自分はそんな存在なのだ。

でも、それは絶対的な状態じゃない。
私は今は、平穏を得ている。
生きていて、良かったと思える。
それは、とても幸せなことだ。