前向きさとは

「ポジティブ」という言葉がある。

調べたところによるとこれは
「事象を正負二極で見立てた際の正の側」を指し、単に事象が発生しているという状態を示すため、善悪という意味は本来ない。

しかし、日常でよく耳にする「ポジティブ」の大半は、事象としてのことではなく「ポジティブ・シンキング」「プラス思考」という意味合いを指すことが多い。ここで対比される「ネガティブ」「マイナス思考」という言葉は、そのものに悪性はないものの、負のイメージが大きい。

それは後ろ向きな考え方より、前向きな気持ちの方が世の中では評価されるからだ。
かく言う私も前向きな人を尊敬する。

間違って欲しくないのは、ただ馬鹿みたいに自分の誤ちに気付かず「毎日最高だぜ、うほほーい」
みたいな人のことを尊敬してるのではない。

本当の感情はさて置き「前向きな振る舞い」を行う人に対して私はリスペクトを抱く。

例えば、物事の流れが良くない方へ向かっているとき、精神的に虚弱な人は、あれよと言う間に落ち込み、ズルズルとその流れに引き摺られていく。
しかし、精神的に強くストイックな者は、物事の見方の角度を変えて、現状を悪いものではなく「良くなる為の準備段階」や「これ以上の悪い出来事を避ける為の手段」などとして捉え、未来に向けて自身の心を鼓舞する。そういった言葉を積極的に発する。

「前向きな発言」とは一見、発するだけなのでそこまで難しくないようにも思えるが、精神が疲弊しているときに己から前向きな言葉を絞り出すことほど、体力の必要なものはない。
それにこのような場合、己を鼓舞するような言葉を放つ行為自体には「純粋な前向きさ」は無く、それはある種のパフォーマンスであり「自己洗脳」に近い気がする。

自分のあるべき「前向きさ」を、例えそれが現在の心情とは違っていたとしても、あえて口にすることで自分を洗脳している。
しかし嘘を吐くのとは少し違う。
周りに前向きな意思を告げることで外堀を埋めている。

要は後に引けなくしているのだ。

こういった行為は、自身のメンタルを矯正するために投げかけることもあれば、他人の言動、行動に対する不快感を打ち消し、自分の中で処理するために行うこともある。
私は後者のほうが多い。

悲しい出来事、腹立たしいことが自分に降り掛かった際、その原因を作ったものを感情的に責めないための手段。仕方のないことだと、割り切るために訓練された思考回路。

「ポジティブ」
字面で見れば明るい、オレンジ色でぬられていそうなポップな印象だが、捉え方によってはどことなく危うささえ感じられる。そんな逃げ場の無い思考。
否、その思考自体がある種の逃避なのだろうか。

どちらにせよ人はそれぞれ、日々を‪騙し騙し生き抜いているのだ。

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