ラッピングの遺伝子

私はかなり手先が不器用である。
初めて行う細やかな作業は、大抵失敗する。
きっと私の末端神経は赤ん坊のままで止まってしまっているのだ。
手先の力の入れ具合が上手く調整できない。
字を書くときですら、変に力んでしまい長時間書き続けることが出来ない。
そしておまけに字が汚い。
大雑把な性格と、変にせっかちな性格のせいだろう。
なぜかいつも「早くしなければ」と意味もなく焦っている。
なので私は基本的にはこう言ったPCやiPhoneなどでの入力を積極的に利用している。

字がやたら可愛らしかったり、プレゼントの包装が上手い女がいるが、彼女らは幼い頃、プレゼント交換や可愛い手紙の交換を頻繁に行なっていた、愛し愛されてきた、いわば勝ち組の女だ。
プレゼントや手紙をもらう側の人間だからこそ、返す側の人間へと回る。
貰っては返し、貰っては返し…
その繰り返しによって彼女達のスキルは向上して行ったのだろう。
そういう女は人から何か貰うことも、あげることにも抵抗がない。
その経験はオトナになってからも活かされている。まあ大人になると自分で贈り物の梱包をすることは少なくなるが、その代わりにプレゼントの選ぶセンスが試されるようになる。

また、ラッピングや字のやたら可愛い女の親(または姉など)もラッピングが上手い。それはその親や姉も同様に、手紙や贈り物をされる側であり、それを返す側の人間であったからなのだ。
コミュニケーション能力の高さにラッピングのセンスは比例する。たぶん。
勝ち組の遺伝子がそこにはある。

生まれながらにそのセンスは決まっているのだ。努力次第ではそれは磨くことが出来るのだろうが、これらは幼い頃からの積み重ねなのだからして、彼女らに追いつくまでのことを思うと、なんだか果てしない気持ちになる。果てしがないって、ちょっとだるい。故にそこまでして磨きたいものでもないなという結論にたどり着く。こうして私のセンスは今日も磨かれないまま、友人へのプレゼントがぼんやりと決まっていった。

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