死にたかった私より

この前、生まれて初めて本気で死にたいと思った。
それまで、私は「生」に対する欲望だけは絶対に失わないと思っていた。
両親には「親の先にだけは死んでくれるな」と何度も言われたし、平和教育もたくさん受けて、命の尊さについて考えることも多かったから。

「どうして人は自ら命を絶ってしまうのだろう。」
そんなことを考えたことがある人は、きっと私だけではないはずだ。
お金がないから?フラれて傷心だから?事業に大失敗したから?

違った。

私が死にたいと思ったのは、どこにも寄りかかれない「孤独」から逃げたいと思ったからだった。
両親に相談すると教師らしくすべて正論に持っていかれて結局「頑張れ、努力しろ」に持ってかれるので、真剣な相談はもうずいぶん前からしなくなった。友達には、変なプライドが邪魔して何も言えなかった、誰も人の病みなんて聞きたくねえよな、とか考えて。

「ウサギは寂しいと死んじゃうんだよ」とはよく聞くが、人間もきっと寂しいと死ぬんじゃないだろうか、と思う。


↓の文章は、どこにも吐き出せない気持ちをここの下書きにぶち込んでいたやつ。

試験が明後日に迫ってきた。本来なら必死に知識を詰め込んでいるはずだった。なのに、体が動かなくて1限に行けなかった。どうしてだか分からないけれど何もやる気が出ない。本当に体が鉛のように重かった。  そんな自分が嫌になった。なんで私はこんなに頑張れない人間なんだろう。なんで朝、決められた時間に起きて学校に行く事すらできないんだろう。一度考えだすと止まらなくなった。どうして私はこんなにキャパが狭いんだろう。どうして私はこんなに要領が悪いんだろう。どうしてせっかく見つけたやりたいことに向かってすら全力で頑張れないんだろう。努力する周り、有名人、社会に、劣等感を感じる。そもそも、どうしてこんなにも考えすぎてしまうんだろう。 

自由主義の中で、常に競争させられて実存的不安に駆られてるんだろうな。他者を受け入れて寛容に生きましょう、って社会に向かった結果排除型社会が形成されるなんて皮肉な話だ。 

孤独を感じる。お父さんやお母さん、そして大切な友達になら打ち明けられるのかもしれない。でも、残念ながら会うことはできなくて、LINEではなぜか頑張る、とか、大丈夫、とか言ってしまう。孤独だ。親のすねをかじってしかいない自分なんていない方がましなんじゃないかとか考える。まあ、本当に死んだら両親にめっちゃ泣かれると思うので死なないけど。

生きるって、てか死なないって楽勝だと思ってた。なんでみんな死にたいなんて考えるの?って思ってた。こりゃ死にたくなるわ。 

競争、競争、競争、、、負けたやつはみんな死ねってか? 

嫌だ~~~~~~。イタリアで海で泳ぎながらアイス売る仕事でいいや。
自然豊かなところでカフェで働きながらゆるゆる生きよう、そうしよう。

ちょっと生きようと思えてきました。書いてよかった。

 

 この後、親友が話を聞いてくれたことで気持ちを復活させることができた、よかった。でも、きっと私はこういう生き方をしているといつか倒れてしまうんだろうなと思って怖くなった。
私が好きな生き方が見つかるといいな。

私の素敵な友達たちは私の生きる理由です、いつもありがとう。




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