雑記

最近占いの本を買った。今年から3年間を占う本と、今年1年の本(この2冊は同著者)と、私が唯一尊敬している占い関連の方、鏡リュウジさんが書いた獅子座に向けてのメッセージ本「獅子座の君へ」。書店で見かけてワクワクしてしまい、本は基本BOOK・OFFで買うという自分の中でのルールも忘れ定価で購入した。読んでみると確かに面白かったが、どれも○○に気をつけろなどというような詳細で簡潔なものではない。脳がふわっとした長文に弱くなってきた私にはあまり合わず、その後三年間を詳細に占った本をわざわざ書店までタイトルを調べに行きフリマアプリで購入した。こちらはさっきの2冊と比べると格段に納得がいった(そもそもメッセージ本は納得とは違うベクトルの代物だが)。しかし今度は毎月毎日記された「いい時間」「ラッキーヒント」のようなものにとらわれる。この日はこういった傾向が強くこうするといい、とされた日がとうに過ぎていたりする。これから来るとなるとそれを意識してしまう。結果疲れてしまう。占いは好きだしヒントを貰いたい気持ちもある。自分自身、占いとはまた違う形でアドバイスを貰うと反発してしまったり中々言うことを聞かない頑固で気分屋なところがあるのでこれを買ったことで前進すればと思っていたが、全くそんなことは無かった。はじめの一歩は良いのだがその後は減速し段々と足が遠のいていく、いつものパターンである。リングフィットも子どもチャレンジもそうだった。当初は新鮮さに触れ感心するのだが別のことに関心が移ったり退屈になったりしてやらなくなり、すると今度はやらないことに罪悪感を感じ始める。比較対象がいてもいなくてもこの現象は起きる。なのでやってみる。いい思いをしたりしなかったり。でも結果的に、自分はもやもやしたい気持ちを晴らしたいだけなんだなとなる。それに気づいてしまうので、結局はプラマイゼロ。体調的にプラスになっても精神にプラスにはならない。私という人間は生まれてこの方ずっとそうで、得意なことすらそういった傾向がある。気分屋で頑固で飽き性で完璧主義。人生を詰ませる傾向のオンパレード。今年の春で通信校の高二となる私だが、通信校だからといって勉強が上手くなるわけでも楽になる訳でもない。やっていると不甲斐なさに打ちのめされて涙が出てくる。苦しい。不甲斐ない。恥ずかしい。なのでやらないが、やらない罪悪感から逃げられたつもりでいても蝕まれていたりする。数ヶ月も前に友人に教えてと泣きついて意外と上手くできた時の記憶をずっと緩衝材にしている。上手くできたそれも復習しておらずほとんど覚えていない為、今同じことはもうできないのだろうが。行動、行動、行動が出来る人間が輝くのだと私は知っているし、何故か輝く人間が身近に居る。私が応援したいと思う、所謂推しもそういった人間。むしろ閃光まである。突っ走って、やった後悔だけを重ねていく。過去でも昨日でもない、今日から明日に繋がる道だけを走っているので、ちょっと眩しいと思う時があり見るのは時々。最近悪いところばかり見えてしまって、全く踏み出せなくて、でも獅子座が何が得意なのかだけははっきりしている。一番合うところで言うならば、私は人前に立っている時の相手を楽しませることしか考えていない私が好き。歌を聞いて欲しいし、一緒に話したいし、一緒に笑いたい。共感したいし、ちょっと褒めて欲しい。トーク力にまだまだ問題があるし寂しくなるので多分自分だけで語るのは難しいが、誰かと一緒にいて話題提供をし合える環境にいると強くなれる。やるべきことは決まっている、ここまではいい。企画をする、やりたいことを決める、そこまではいい。エンジンがかかるのがやたら深夜なのが問題だ。そういった体質なのかもしれないが、夜中に配信をする訳にもいかないので、また色々考える。
書いたらやっぱり楽になったので、またここに戻ってきます。

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