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壁画

 コンクリートの壁や地下鉄の車体にカラースプレーで描かれた、一見するとありふれたあるストリートアーティストの作品が、一部の批評家のあいだで話題になり始めたのは今世紀初頭のことであった。
 その作品が最初に発見されたのはニューヨークのウォール街の一角であったといわれているが、正確な記録は残っていない。その作品の片隅にはいつも小さくxとサインされていることから、いつの間にかそのアーティストはエックスと呼ばれるようになった。しかしそれがアルファベットのxなのか単なるバツ印なのか、また単独なのかグループなのか、xに関する一切は謎に包まれていた。
 xのストリートアートには強いメッセージ性があり、環境問題や政治的なメッセージや複雑な哲学的命題などが、ディフォルメされた動物や図形や象徴的な記号などによって表現されていた。またそれとは別に、その作品の一部には予言とも取れるような現実の事件との奇妙な関連が見られ、そのことがより多くの人々の関心を引いた。
 例えば、ある港町で黒い魚が大量に描かれた作品が発見されると、その直後に石油を満載したタンカーが事故を起こし、近くの海岸に油にまみれた大量の魚の死骸が打ち上げられた。
 またある時は、アフリカの独裁国家で醜くディフォルメされた独裁者の似顔絵が発見され(それはその国に於いては非常に危険なことであった)その直後、クーデターによって独裁者は失脚した。
 東アジアの原子力発電所では、x風にディフォルメされたバイオハザードマークのペイントが発見され、後にその原子力発電所は事故を起こして廃炉されることになった。
 xにしては珍しく、正確にデッサンされたアフリカゾウのシルエットを描いた作品がパリで発見されると、数日後アフリカのサバンナに生息していた最後のアフリカゾウの死亡が確認されたというニュースが世界中に流れた。
 xは次第にカリスマ的なアーティストとして世界的に知られるようになり、どこかの国の街角でxの"新作"が発見されると、世界中のメディアによってこぞって報道されるようになった。
 xの評価が高まる一方で、一目でそれとわかるものも含めた数多くの贋作も発見されるようになった。また一部の研究者によって、これまで発見されたxの作品の中にも、かなりの割合で贋作が含まれていた可能性が指摘され、xを取り巻く状況は次第に混沌さを増していった。
 そんな中、教会で銃を乱射してその場にいた十数人を殺害した男が自分もその場で自殺するという事件が起こった。犯人のポケットからは"xのメッセージに従って行動する"というメモが発見されたが、犯人がどの作品を根拠にしてそのようなメモを残したのかは解らなかった。
 かなり初期からxが盛んに攻撃していたある国際企業があった。事件はその国際企業がxの評判を落とすために仕組んだのではないかという陰謀説も流れたが、結局真相は解明されなかった。世界中でxに対する猛烈なバッシングが始まったのはそれから暫くしてからのことだった。
 バッシングは嵐のように吹き荒れ、それまで厳重に保護されていたxのストリートアートの多くは撤去されたり破壊されたりした。
 しかしそれは事件の影響というより、寧ろ人々の中にくすぶっていたxに対する恐怖が一気に表面化しただけだったのかもしれない。
 そんな騒動も鎮静化し、もう誰もxの噂をすることさえ忘れてしまったかのように思われた頃になって、インターネット上に”xの新作が数年ぶりに発見された”というニュースがひっそりと流れた。
 その作品は最初の作品が発見されたのと同じニューヨークの一角で発見されたということであった。そこにはただ太く黒い線で"x"と描かれているだけで、これまでのxの作風とはやや趣が異なっていたが、そのことがかえってその作品がxのオリジナルの”新作”であることを、見た人に印象付けた。
 そのニュースが世界に広がると同時に、世界中の街角の壁、ショーウィンドウ、道路、ゴミ箱、ポスト、ポスター、タクシー、煙突、バリケード、電柱、電話ボックス、捨て看板、自動販売機、電光掲示板、地下鉄、パブリックアート。そんなありとあらゆる場所に"xの新作"を真似た"x"が落書きされるという現象が起こった。それはもはや贋作などではなく、それらすべてがxの作品の一部のようでさえあった。
 黒く大きな"x"で街が覆い尽くされて行く光景を目にした人々は、言いようのない不吉な印象を抱いたが、まだそれがxの最後の作品であることに気がついている人は一人もいなかった。


 一万年後。
 科学博物館で開催中の"旧人類文明の遺跡展"は連日多くの見物客で賑わっていた。中でも人気なのは、旧人類文明が消滅した謎を解く鍵になるかもしれないと言われている、新しく発見された壁画の展示だった。
「なんかこわい」
母親に手を引かれた小さな女の子が言った。
「シンプルだけどインパクトあるな。それにどこか象徴的だね」
アーティスト風の若いカップルが感想を述べあっている。
 建築物の一部と思われる、大人の人間ほどの高さの石版に大きく描かれたシンプルな図形には、次のような解説が添えられていた。
「かなり高度に発達していたと考えられている旧人類文明は、ある年代を境に突然その痕跡を消し去ります。その最後の痕跡として、この図形の描かれた壁画が世界各地の遺跡から発見されました。この壁画に描かれた図形が何を意味しているのかはわかっていませんが、後世の我々に対する強いメッセージが含まれているのではないかとも考えられています。
 いずれにせよ旧人類文明が消滅した謎を解明することは、私たちの文明が目指すべき方向を示す貴重な教訓となるに違いありません。」

(2019年12月/光文社第9回ショートショート募集・佳作選出されたものに加筆修正)

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