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必ず日は沈むが、必ず日は昇る

世の中の理(ことわり)は陰陽で表されるように、

プラスとマイナスで表されるように、

凹凸で表されるように、

必ず対になるものとで成り立っているような気がしている。


失敗の次は成功が待っていたり、
悲しみの次は喜びが待っていたり、
物理的にも、精神的にもそれは当てはまる。


僕は不遇な生き様なんじゃないか、なんて思ったりもする。
定期的に、目標を追いかけることを辞めてしまうような、
いわゆるスランプが訪れることもある。

ストイックに自分をコントロールできる人はいい。
ただ、誰にでもそういう生き方ができるわけではないから、他人から見てどうでもいいような病み悩みに一喜一憂したりする。

何かを信じてことが上手くいくならば誰にも格差なんてものはない。人は信じる、願うことが好きな生き物だからだ。

信じるだけでは報われない、
うまくいかなかった過去に報いるのは自身の行動だ。

そこで、
失敗の次は成功が待っていたり、
過去の悲しみの向こうには成長や新しい喜びが隠れていることを忘れずに生きる。

ああしたい、こうできたら、と願うのではなくって、
「次のコンティニューは、
強くてコンティニューだから」
そういう気持ちを信じて、
どうしたら、願った結果に結びつくのか考えこむ。

たぶん、それだけで願いが叶う確率は上がる。

だが多くの人は、そこまで人生に思い悩まない。悩むべきことを忘れて、目をそらして生きている。

信じるなら偶像ではなくて、自身の心。
もちろん、そこまでのパワーを授けている誰かや何かがあるならそれでいい。

とにかく、自分の願いや欲望について、考えることを止めてはいけない。

でないと、ロボットと同じ、歯車と同じ。
生かされているだけ。

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