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シンデレラフィット中

世の中の誰もが靴は「我慢」して履いているものだと最近まで思っていた。
私の場合は靴屋の店員さんがアドバイスしてくれるサイズのものであっても「靴擦れ」を起こしてしまう。まめができ、水ぶくれができ、どれも今までに”合った”ためしがない。

今年の夏なんて3足のスニーカーが無駄になりメルカリに出した…。
家族にもそのようなきらいがあり、父親も同様に靴をたくさん買ってしまう。だから人間と靴の”因縁”は長く深いものなのかと諦めていた。

『シンデレラ』がそうだ。
いくら魔法の靴とは言っても、ソールもなく、しなやかさのないガラスの靴では苦痛しかないはず。階段で靴が脱げ落ちるなんて考えるだけで可哀想だ。

素敵な王子様の前で素敵な気分になれない。素敵な自分になれない。ダンスして歌う時のあの笑顔が苦痛に耐える営業スマイルだなんて嫌すぎる。看護師か。

でも思った。
「シンデレラフィット」。
これは寸法云々うんぬんではなく心の問題なのだと思う。透明そのものが心なのだと思う。

寸法を測らずに買って来た家具が「シンデレラフィット」だった時の気持ち。感動。家具が本当の本当にピッタリだったら周りの家具や壁、床が傷ついてしまう。

「シンデレラフィット」=「ピッタリ」ではない。
「シンデレラフィット」=「純粋な気持ち」なのだ。

灰かぶりのエラ(=シンデレラ)の透明な心を表したのがお話が『シンデレラ』。灰にまみれたはずの彼女の心はガラスのように繊細で透き通り、それは魔法のような奇跡。対してきらびやかなはずの姉たちはガラスの靴を履けない。だって「本心筒抜け」になってしまうのだから。

そんなことをあれこれと思いながら仕事をする。
そうなんですよ、看護師は営業スマイルなんかではないんです。今日もシンデレラフィットな看護をしていますよ。


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