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友情結婚がしたい25歳の夏、

小学生の頃、数えきれないほど書いたプロフィール帳。おもて面の下の方にありがちな「何歳で結婚したい?」のコーナーには毎回必ず「24歳」と書いていた。別に親や身近な人がその年齢で結婚したからというわけではない。ただなんとなく10歳そこそこの私にとっての24歳は、もう十分立派な大人で子育てができる年齢という認識だったのだろう。

結婚して、お母さんになって…。子どもは2人ほしいなあ。2人目は28歳あたりがいいなぁ。

当時抱いていた、職業とは別ベクトルの将来の夢。

、、、ごめんねあの頃の私。何も予定通りにいきそうにありません。あと1ヶ月で憧れの24歳は終わっちゃうし、この先子どもを作れる自信もありませんから!!!(^o^)/


コウノトリを信じていたのに

小学校高学年の頃には既に軽く性嫌悪があったから、自らそういう知識に触れることを避けていた。まぁ周りはまさにちょうどソレ系に興味を持ち出す年頃だったから、ボンヤリと単語ぐらいは入ってきていたけれど…。

子どもは欲しい→だけど子作りの手段(セックス)はしたくない→でも子どもは欲しい→どうしたらいいの?(ループ)

をずっと考えていた。大人って意地悪だよ。「赤ちゃんはどうやって出来るの?」の質問に対して「コウノトリさんが運んでくるんだよ」なんて1㎜もかすっていない嘘言ってその場をごまかすんだから。恥ずかしながら私は一瞬コウノトリ説を本気で信じたし、さすがにそれは有り得ないと気付いてからもキスで妊娠ができると思ってた。

セックスはしたくないけどキスならしたい(できる)…から、私も問題なく妊娠するためのステージには立てそう!って思ってたのに……。ヒドイよ…。

私はセックス=子どもを作るための手段としか考えられない。生きるためにはお金が必要で、お金を稼ぐためには働かなくちゃいけないのと同じ。別にお金を頂けないのに働きたいとまでは思わない(なかにはそれでも仕事したいって思う人もいるのかもしれないけど)。その感覚と非常に似ていて、

子どもは好きだしお母さんになりたい→そのためにはセックスをしないといけない→未来の子どものためなら頑張れる(?)

これが私のベースにある。愛情表現としてのセックスは全く気持ちが分からない。でもお互い子どもが欲しいねという気持ちが一致したときにそれしか方法がないのなら、その一瞬だけ頑張れる。…という理屈なんだけど、これがまた他人になかなか理解してもらえなくてね。


そんなに都合よくは無理だよ

元カレに上記の価値観を話したことがある。「そんなに都合よくは無理だよ」と返された。彼曰く、

「君とは付き合い続けていきたいし、君が望む性交渉の無い関係でも別にいい。ただしそれは自分にとって、”彼女である君を性的な目で見ることを完全にやめる”という覚悟を意味するから、いくら正当な理由があっても、その時だけ女として扱えというのはできない。」

とのことだった。ちょっと悲しかったけど、悲しいのは元カレも同じだっただろうから何も言えなかった。セックスって一体なんなんだろう?私のこの「手段としての性行為」論は、そんなに変な考えなのだろうか。理解してくれる人はいないのかな。

虫みたいな態勢で、地声とは程遠い声を出しながら、素っ裸を見られることを私は自ら望んでまでしたいとはどうしても思えない。良さも分からない。もちろん大好きなパートナーのそんな様子も見たくない。だって普段の姿が好きなんだもん。自分も相手もまるでその時だけ別人格みたいに思えてしまって。極論かもしれないけど、そんな時間に意味はあるの?とまで思ってしまう。それこそアセク・ノンセクの方がよく言われるように「ケーキを食べる関係」の方がよっぽど幸せで愛が深まるように感じる。

でも悲しいことに少数派なのは明らかに私サイド!それは分かっている。だからこそ思い悩む、結婚、出産…。


愛情と友情の狭間の結婚

ここでタイトルに繋がる「友情結婚」。そもそも性行為を伴わないってだけで「友情」と表現されてしまうのもなんだか寂しい気がする。勿論この言葉は、例えば同性愛者ではあるけど世間体的に結婚相手は異性がいい…みたいな考えを持つ人にも当てはまるものなので、たしかにそのケースならそこに成り立つ関係は「愛情」より「友情」が近いのかもしれないけれど。

自分の場合は明らかに異性として相手をLikeではなくLoveの意味で好きになっているはずなのに。致すことができないという理由だけでこの気持ちはLoveと認めてもらえなくなってしまうのだろうか。まぁ一つ一つ分類分けをしていったらキリがないし、他に代わる良い言葉も思い浮かばないし。一目で分かりやすい表現ではあるんだけどね…。

この文章を書くに当たって恥ずかしながら初めて知ったけど、友情結婚を専門としたマッチングサービスなんていうのもあるそうで。今のパートナーとは普通の大手マッチングアプリで出会って、私的には年齢も年齢だし未来の子どものためにセックス頑張る覚悟でお付き合いを始めたところ、まさかの相手も性に積極的じゃない人だった(おそらくノンセクなのだと思うけど本人が自認しているのかは不明)……という経緯だったので、わりとラッキーな形で「恋愛感情から入ったノンセク同士のお付き合い」という関係を築けている。

旅行で取るベッドはツインだし、消灯時には必ずそれぞれのベッドで寝るし、キスやハグも寝る前や出発前に軽く1回するだけ。

これでいいんです、これがいいんです。いや、正直キスはもっとしたいと思ったりするけど、全て思い通りにはならないことは承知している。それよりもツインベッドだとか就寝中にお互い邪魔しないだとかの価値観が合うことのほうが大切だったりする。

ハグやキスは毎回私からだから、もしかしたらパートナーはその1回すら好きじゃないのかもしれない。でも、もしそうだとしたら、私のわがままをきいてくれて感謝しかないし、それはちゃんと立派な彼からの私に対する愛だよなぁと思う。なかなか言葉や態度で愛情表現をしないパートナーに不安になってキツく当たってしまったことが以前あり、その際に「見える形が全てじゃないと思うんだよね」って言われたことがあった。なるほどなと今なら思える。

でも私も慣れてきて以前より求めなくなってきたから、最近明らかにスキンシップの量が減ってきた。きっとそのうち1回のキスすらなくなってしまうのだと思う。

別に私はそれでも良い。美味しいものを食べて、一緒に旅行して、趣味を共有して、お互いをもっと知って、笑いあって…それで十分幸せ。そしてそれに寄せる感情は紛れもなく「友情」ではなく「愛情」なのである。

人として尊敬できるところがあるし、なかなか人に理解されないセクシャルの面も合っているから、私は彼と結婚したい。そうなれたら嬉しい。けど、子どもはどうなるのだろうか。「手段としての性行為」には協力してくれるのかな。理解してもらえたらといいな。

とはいえ思い描いていた24歳と今の私はかけ離れていて、一人の人生を導くほどの力を今は持ち合わせてないので今あれこれ言ったって机上の空論に過ぎない。先のことはわからないし、期待しすぎず。

でも将来的に、自信を持って「恋愛結婚です」って言える(形的には)友情結婚をするのがやっぱり私の理想だなぁ。

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