見出し画像

妊活日和#23

2020年7月。妊活開始から23ヶ月目。

妊娠10週目の検診で「流産」という診断が下る。

夫に報告し、手術当日の送り迎えを急遽お願いした。夫はまさか「流産」するとは思っていなかったようで、私よりもうろたえていた。

手術前日、お昼ごろから出血が始まってしまった。明日までどうにかひどくなりませんよう、祈るような気持ちで当日を迎えることに。

当日は手術の時間までおそらく2~3時間はあるだろうと考え、Netflixで映画や海外ドラマをダウンロードして暇つぶしの準備をしてきていた。これで、手術の時間まで、何も考えずに過ごせそう。そうでもしておかないと、心が苦しくて、自分を保っていられなかった。あと、待機している部屋から、分娩室までがとても近くて、分娩室からお母さんのうめき声や叫び声も聞こえてくる。タイミングよく、赤ちゃんが生まれたらしい「おんぎゃー!」という声も聞こえてきたりもした。待機している部屋のナースステーションでは、分娩の準備に追われているらしく、ボスらしき看護師さんが部下にいろいろと指示している声なども聞こえる。これらの声を聞くのもなんだか辛くて、一人でイヤホンを付けて映画に没頭することにした。

待つこと4時間、やっと手術室に案内された。採卵の時とは違い、なぜだか、あまり緊張はしていなかった。緊張というより、悲しみのほうが大きくて、頭でいろいろと感情を整理することができなかっただけなのかもしれない。

「大きく息を吸って~。吐いて~。吸って~。吐いて~。」

と先生に言われながら、全身麻酔を打たれた。


気付くと、ベットの上にいた。採卵の施術の時は、自力で歩いて行ったが、今回は麻酔が効きすぎたのか、私は自力で起き上がれなかったらしい。ストレッチャーで運ばれたようだ。目が覚めて時計を確認すると、手術からすでに3時間半経過していた。看護師さんを呼ぼうとナースコールを押したが、今は分娩処置で忙しいらしく、ナースステーションには誰もいなかった。2分くらいしてから、ようやくたまたま戻ってきた看護師さんに気付かれ、点滴を外してもらったり、体調が戻ったことを確認してもらった。帰り際に今後の治療の流れについて早口で説明を受けた。

術後数日は腹痛があるかもしれないので、その時は痛み止めを飲むこと。

次の生理は少し重いかもしれないこと。

生理が来たら、また3日以内に受診すること。

説明を終えた看護師さんは今日は分娩数が多いのか、すぐに分娩室へ行ってしまった。

なんだか少し、さみしい気持ちになった。帰り際、また赤ちゃんの声が聞こえてきた。泣きそうになった。

その日は、帰宅中の車の中でも、帰宅後も、とにかく眠くてひたすら眠っていた。

翌朝、気付くと夫は先に出勤していた。私もこの日は出勤日なので、早く起きなければと思いながらも、出発ギリギリまで眠気に誘われて眠ってしまった。こんな状態で今日の勤務に支障が出ないかどうかなど考える余裕もないくらい脳が働かない。麻酔が切れていないのだろう。それでも、どうにか眠気をこらえながら勤務していると、お昼頃に同僚と上司が話しかけてきた。二人は最近、職場恋愛で結婚した。

「昨日、みんなに結婚のお祝いをしてもらったの。お祝い金、ありがとうね。」

と。話を聞くと、昨日私が休んでいる日に、職場のみんなでお祝いの花束とお祝い金をもらい、記念写真をとったのだという。その時撮った写真を私に披露しに来たらしい。二人とも幸せそうに笑っていた。

この時、私はまだ脳と体と心が正常に戻っていない感覚だったので、二人の写真を見て、どうリアクションするのが正解なのか正直分からなかった。それもそのはず、昨日の流産の手術を夫以外誰にも知らせていなかったからだ。もちろん、両親にもだ。そもそも、妊娠していたことすら、職場の誰にも報告していなかった。だから、私が昨日流産したことを、この二人は知らないのだ。

上司と同僚が昨日の写真を見ながら心底幸せそうに笑っているので、私も笑顔くらい贈らないといけないと思い、眠気をこらえながら、「おめでとうございます。いい写真ですね。」とコメントした。

幸せな雰囲気を壊さぬよう、ひっそりと自分の眠気やら、お腹の痛みやら、点滴痕を隠しながら、その日は業務を全うした。


誰かが生まれる一方で、誰かが亡くなっていたりする。

誰かが幸せに包まれている瞬間にも、絶望にさいなまれている誰かもいる。

この世に実際に起こっている光と影。


改めて気づかされた2日間だった。


手術から約3週間後、生理が始まった。

生理3日目に病院受診をし、すぐに2回目の移植の話が出た。

「今月は残念な結果だったけど、来月また移植にトライしてみよう。」

この3週間で、気持ちも徐々に前向きになり始めていたので、先生に促さるがまま、来月の移植に向け、また準備していくことになった。


「また流産してしまうのではないか。」

正直、この時は不安のほうがまだまだ大きかった。けれども、今年はどんなに辛くても前に進むのだ、と心に誓っていたので自分自身を鼓舞しながら治療を進めることを決心した。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?