Twitterに対し思うこと。

ノンジャンル人生です。せっかく違うサービスを使っているので、ツイッターでは言わないことでも書いていこうと思います。

現アカウントでのツイッターの利用は約3年ほど。おかげさまでインディー・フリーゲーム関連の方と多くの交流を果たすことが出来ました。自分にはない考え方、発想、思いに触れることで多くのことを学ぶことが出来ましたし、同じゲームを好きなファンの方と楽しい時間を過ごすことも出来ました。

その一方、ツイッターを始めた当初と比べ、ツイッターの運営方針が自分に合わない形になっていくを肌で感じておりました。3年はけして長い利用期間ではありませんが、それでも少しずつ息苦くなっていきました。

以前のツイッターの印象は「ゆるいつながり」が売りのサービスでした。ツイッター自身がそうコンセプト立てしたのかは分かりませんが、記事や書籍ではそういった場所として広まっていましたし、実際利用してみるとそのような空気感は確かにあったと思います。

「つぶやき」と言われるとおり、何のとりとめのないことを書ける場所であるのがツイッターですが、思想や学問、正負の感情、エログロからネットミームまで抱えられるほどの懐の広さを持っています。

しかし最近ツイッターを使っていると、広くゆるくつながっていたもの同士にあった距離感を、無理に繋げているように感じました。

例えばツイッターの「お気に入り」が「いいね!」に変化した後頃に、フォロワーがいいね!をしたツイートを時折表示させるようになりました。これが非常に厄介で、リツイートと違い拡散の意図がないものが拡散されてしまう可能性があります。

いいね!の使い道としての「嗜好」「同意」とRTの使い道としての「拡散」は全く違うものです。好きなものを広く伝えたいと思う気持ちは多くの人にある感情ですが、好ましいが人には伝えたくないという部分も存在します。

それを意図せず拡散すれば、トラブルが起きてもおかしくはありません。自分も人に見られるんじゃないかと意識したことで、いいねをする頻度が大きく下がりました。相互でフォローしているからと言って、好みが一致するわけでもなく、自分の好きが他者の嫌いなことだというケースもあるのです。

ゆるくつながるということは、互いの好ましいと思う価値観へ余計に干渉をしないことが大切だと思っています。相手がどういった思想や嗜好であっても、適切な距離を保てるなら、互いを認め合うことは可能です。相手のことを知らないということが、相手を知ることよりもよほど良い関係を生むことだってあるのです。

今のツイッターには、互いをもっと好きになろうという押し付けがましさを感じています。いいね!だけでなく、タイムラインの重要なツイートの表示などからもそう感じています。しかし、あらゆるものが共有されていく時代だからこそ、何を好むかの心の領域は不可侵であってもいいと思うのです。

と、ここまで書いてきましたが、もちろん何の不満のない人もおり、考えすぎる傾向がある自分だからこそ感じることだとは思っています。人に広まることが強力なエネルギーとなり、大きな良い流れも生み出しているのも確かです。

ですので、問題の指摘はしますが、ツイッターに変化を求めるつもりはさらさらありません。しかしながら自分には合わなくなったので、少し距離を置くことにしました。今後の使用頻度は減る予定ですが、今まで交流してきた人達とは良い関係性を続けていきたいので、うまい使い方を見つけていきたいと思います。

それでは。

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