見出し画像

ちょっとだけ。

書こうと思う。深夜には、文章が書きたくなる。


6月に入ったこともあり、雨の日が増えている。気圧の低下が著しい最近。年齢を重ねたせいか、気圧の変化に影響を受けるようになり、雨の日は体調が悪くなることが多くなった。しとしと降る雨に、ドンドン下がっていくテンション。ガンガン痛みだす頭。テイラックさんという頼れる味方を服用すると体調の悪さはだいぶマシにはなるのだけど、それでも治らないときはじっと耐えて天気の回復を待つほかない。自然には逆らえない人間。


てるてる坊主に効果がないことには、賢明にも中学生のころに気がついた私なので、天気〜晴れろ〜晴れろ〜と祈りながら、室内から窓の外の灰色の空を眺め続ける。そんな昼間。体調が悪いと、なにも楽しくない。遊ぶ気力もないし、好きなドラマも見たくなくなる。そしてなにより、文章が出てこない。まったく出てこないわけではないけれど、自分が表現したい文章は全然思いつかなくなる。それが、楽しくない。


私は、モヤモヤとした思いに形を与えるのが執筆の楽しさだと思っている。自分でもはっきりとは意識できていない考えが理解できるようになるし、それが心の安定に繋がることもある。執筆は、私にとってストレスの発散であり、自分を見つめる行為でもある。


だが、水を入れすぎたホットケーキミックスのように、何度こねても形が全然整わない文章を書いていてもどこにも繋がらないし、意義のある執筆にならない。私というものが、形にならない。それがなんだか悔しくて、雨〜!私は文章を書きたいんだ〜!晴れてくれ〜!と願うのだけど、元より力が人より弱い無職。空はさっぱり晴れないし、気圧の低下に頭はボーッとして意味のある考えが浮かばない。頭のどこに隠れているのか、と思ってしまうほどに単語やら熟語やらが姿を見せず、私はただ執筆に使っているスマホを手に、途方に暮れるだけである。そうして、これはだめだ、と思いながらクッションに頭を沈め、天井を見上げる。天井の白さを思いながら、今日の晩ごはんは親子丼が食べたいな、頭痛がこれ以上ひどくならずに美味しく食べられればだけど、と考えつつ、目をつむる。最近はそうやって、ただ静かに過ごしていた。6月の私の、特になにも起こらない日々である。


頭が痛くとも、気分が優れなくとも、良い文章が書きたい。いつだって、良い文章が書きたいんだ。へなちょこエッセイ書きは、深夜にそう願いつつ、筆を置いて眠る。明日は晴れますように。天気も、気分も。

いただいたサポートは無職が大事に使わせていただきます。