朝井リョウ、め

「あなたには文才があるね。ここの表現とか、ぱっぱっぱとコラージュのように情景の断片が浮き上がってくる。そうね、朝井リョウみたいな」
プロの小説家にそんな風に言われて、それだけで舞い上がった。朝井リョウ。調べてみて「桐島、部活やめるってよ」の作者と知り、ずいぶん軽そうなタイトルの作品を書く作家なのか、とがっかりする。フリマサイトで大量に出品されていた古本から、最も安いのを購入して読んでみる。

面白かった、20歳に満たない年齢でこんなにも青春のコマを鮮やかに描きだして、しかも本人が登場しない斬新な方法で。
でも、頑張れば私もこのくらいまで書けちゃうのかなぁってうぬぼれていた。

冒頭の小説家が開催している創作文を書くワークショップにその後も何度か参加し、勉強会にも継続的に出て創作なのか独白なのか分からない文の塊を吐き出し続けてみたけれど、いつだって、講師のその小説家からも、読んでくれた仲間のコメントも、「情景が浮かぶ個性のある文章がいい。でも、主人公の心情が見えないし、これからどうしたいのかも良くわからない。とにかく続きを書いてみて」

書いている私もいつも思う。情景を描写するのはただただ楽しい。色んな形容詞に形容動詞に倒置に物体を主語にした翻訳文のような回りくどいけれども整合性のとれた不思議なリズムの流れる文章を書ける感覚はある。脳内と指先がつながってパタパタと体内に渦巻く潮流をそのまま言葉の流れに映し出していく作業は、よどみのない単純作業のようでもあり心地よい。
けど、分かる。私の主人公は、すなわち私は、そこから動かない。心も、身体も、前にも後ろにも動かずに、膠着してその視線から見えるものをすみずみと拾い上げて言葉で微に入り型どりをするように形を表して、読んで目に見えるようにしては行くけれど、心のこと頭のことざわついていることや欲望に嫉妬に怒りに情熱には、その型どり能力は活かされない。つっかえているようでもない、ただ、無いように見える。

「自分が感じていること、分かっていますか?」
講師の小説家は4度目に私の作品を読んだときに、そう言った。
「いま、今この瞬間でいい。いま、あなたは何を感じている?」
そう言われても。
「ざわざわする、とかウキウキする、とか、なんでもいいんだけれど」
愛想のよい能面になった私の顔を見て、小説家は一拍呼吸を置く。
「人に見せなくてもいいから。自分の感じていることを一回全部、書き出したほうがいいかもね」
あ、と思った。
私からこの人、離れていく。
でもそれが寂しいのか悲しいのか怖いのかがっかりしたのか、確かによくわからなかった。ただ、自分が喜んでいないことだけは良く分かった。

描写するだけじゃ、なんでダメなんだろう。目に入るものはこんなにまぶしくて、言葉で彫り出していくだけでこんなにゾクゾクとして、ただ通り過ぎ去られてしまっていたものに足を止めさせる力があるのに。

「アタマで考えて、描いた線だね」
ヌードデッサンの勉強会でも85歳の指導者に言われた。髪の毛はほとんどなく、白いひげを口元に蓄え、特に左耳が遠く眼鏡の奥の目は薄い皮膚の皴の中に埋もれそうになっている。けれども記憶力と指摘の言葉はどこまでもクリアで、凛とした思考と表情は中途半端な言い訳を許さない。
「考えるんじゃなくて、感じて、描くんだよ」
スターウォーズのジェダイの特訓みたいだな、と今回も思う。"Don't think, just feel it."
「何も感じないで頭で考えて、形だけをなぞろうとすると、こういう全部が均一な死んだ線になるんだよ」
もう何回も言われている言葉。頭では充分理解しているつもりの言葉。
「裸の、生身のモデルさんが目の前にいるんだよ。重さが、柔らかさが、滑らかさが、あるでしょう。ちゃんと感じて描けば、線は必ず変わるはずだよ」
正確に、描きとりたい。感じたまま描くのと、バランスを無視して描き殴る差を、まだデッサンを始めたばかりの私には見いだせない。
「一回、”きれいに描こう”っていう気持ちを捨てたほうがいいよ。考えないで、感じて描くの。きれいじゃなくていいんだから」
私は綺麗に描きたい。潔く身体のすべてを見せているモデルに何を感じているかっていったら、「綺麗だ」って感じてる。すらりとしたうなじ、浮き沈みしながら腰まで続く背骨、ほったりとした腹の肉、しゅわしゅわと絡み合う陰毛、ふにりと溶け落ちそうな太ももに、ひゅんと床へ伸びていくすねの骨、関節の合間に陰影を落とす静かで滑らかな生の肌。
「よく、見て。そんでちゃんと感じて。感じたことを、ちゃんと描いてみて。考えないで」

書くことも、描くことも、私は私の感じていることを出すことができないでいるのか。
動かない主人公、聞こえてこない心情、感動のない死んだ線。
得意だと思っていた、ふたつのことの前で私はうなだれる。
インクを走らせる筆も、絵具を塗り滑らせる筆も、どちらも握るのがおっくうになる。自分自身の真ん中を隠したままで表現されたものに、存在価値なんてあるわけがない。

『-----自分が想像できる”多様性”だけ礼賛して、秩序整えた気になって、そりゃ気持ちいいよな――。息子が不登校になった検事・啓喜。初めての恋に気づく女子大生・八重子。ひとつの秘密を抱える契約社員・夏月。ある事故死をきっかけに、それぞれの人生が重なり始める。だがその繫がりは、”多様性を尊重する時代"にとって、ひどく不都合なものだった。読む前の自分には戻れない、気迫の長編小説』(Amazon 作品解説より)

影のある濃紺を背景に、一羽の鴨が不自然な姿勢で真っ逆さまに落ちていく。首を下に向けてすっと伸ばし、足は天に向けてばらつかせて。
まだ、生きてる。
けれど、すごい勢いで下に向かって落下している。
自分の意志ではないように。もう、自分の力では態勢を立て直して翼を広げることは不可能なように。

そんな文庫本の扉絵に白く「正欲」というタイトルが抜かれていた。
朝井リョウの、新作だった。
キラキラと、パラパラと、あっという間に目の前に五感を駆使した情景を浮かび上がらせるのが上手な作家。「桐島。部活やめるってよ」結局最後はどんな結びだったんだっけ、覚えてないや。
『----読む前の自分には戻れない』
んな大げさな。印刷されている紹介文と言い、この帯の言葉といい、ずいぶん大げさだな、あの青春小説が得意な朝井リョウでしょ?

なぜか本屋に立ち寄るたびに視界に入ってくる真っ逆さまの鴨をわざと無視し続けるのをやめたのは数週間後だったか。仕事帰りにとうとう立ち寄った本屋でレジでカバーはかけないままにしてもらい、帰りの電車で開いた後は気づけば肩とこめかみに力を入れたまま夜を超えて窓の外が白みかけていた。

この人は、こんなに、言いたいことがある。

作品を読んで、自分自身がいかにマジョリティ側にいて、それなのに自分自身を繊細で心配症で生きづらくて悩みやすくてうっすらと不幸で困っていてかわいそうな人間だと思い込んできたのかを、爪の皮を少しずつはがされるような、もうやめて分かったからといういたたまれない気持ちがひと段落した後に、そう思った。

言いたいことがあって、もう10年以上、小説を書き続けている。

作品に出てくる人物たちは、息を殺している。目立たないように、見つからぬように。けど、心が、悲しみが、怒りが、ふたをし続けていながらの無言にも近い抑制の蓋の隙間から、誰にも見られていない中で、ゴトゴトと、ふたを押し上げているものを、隅々までをついてくるような文字にして読者に見せている。うごめいているものを、ほら、と手に取れるようにまで彫り出して目の前に差し出している。

朝井リョウ、怖い。
どうして、こんなにも、自分じゃない人のことを、自分の年齢も性別も立場も経験も離れた人たちのことを、まるで目の前にいるように立ち表すことができるんだろう。
この人いったい、何なんだろう。

たまらなくなって、ほかの作品を片っ端から読みだした。
軽そうだなんて思っていたタイトルに、ことごとく裏切られていく。
さっくり読めそうな短編集にも、う、となる。
朝井リョウって、いったい何人の人間を自分の中に住まわせているのか。

表現が少し似ていると言われただけで舞い上がったあまりに軽い自分に、濃紺バックの鴨が重たかった。こわごわとしながら、ナイフが刺さりながら、私は朝井リョウの作品を、またひとつ、またひとつと止まらないお菓子のように手を伸ばし続けた。
筆は、完全に止まっていた。


ばさり、とそれまで使っていたものより二回りも大きいクロッキー帖を開いて木製の小さな椅子に載せる。いままではA3サイズのスケッチブックを左手で支えながら、4Bの鉛筆でモデルに目を凝らしながら描きこんでいた。
「感じたままに描く」
頭で理解していても身体が理解していないことをどうさせればいいのか分からないまま、紙のサイズを変え、ついでに抱えることもやめ、あけっぴろげに平らに置いて、座った足をでんと開いて、前日に買ったクレヨンのように太い芯の鉛筆を取り出す。鉛をそのまま棒状にしたような、ずしりとした重みが指の関節にかかる。
「じゃ、はじめに5分ずつ4ポーズお願いします」
指導者の声が響く。ゆったりとしたワンピースをばさりと脱ぎ捨てて、モデルがすっくりと立って答える。
「はい、お願いします」
左手を腰に当て、斜め上を見つめるスタンダードなポーズをとるモデルを、背面から見上げるようにじっと見る。
光のあたるうなじの髪。わずかに盛り上がって肘まで流れる肩の線。くっきりと浮き出す肩甲骨に、貧相な肉にうっすらと姿を現す背骨。くびれたウエストと対照的に、重力に逆らえないたるみの始まった臀部が続く。体重はほとんど左の腰を伝って膝を通り、くるぶしから左足裏に押し付けられている。アキレス腱が浮き立って、甲が右足よりも赤みがかっている。
いつもより広々とした白い紙に目を落とし、鉛の塊をとん、と載せる。さりさり、と頭の形を簡単に写し取って、首の付け根から肩までの曲線をもう一度じっと見る。左肩の向こうに、右肩がみえる。その、奥行き。こちらに向けている左側の、肩の骨の大きさ。
とん、と落とした鉛の塊が、ゆるっと動く。硬くてこちら側に向かってくる左肩と、その奥にしずかに控えている右の肩。高さも、力の入り方も違う。そうかそりゃ違うよね。
左の線はガシリと描きたくなる。右のは、やわっとでいい。
集中して連ねた線から手をぱっと離して、またとん、と置きなおすのが楽しい。
楽しい。
たのしい。
鉛と一緒に、生肌をさらしながら呼吸しているモデルの存在感を、少しずつ、写し取っていく。


「足先、一番体重がのっかって力の入っているところだよ。ここがこのポーズの描き甲斐のあるところなんだから、構図の中にちゃんと収めないと」
ギリギリのところで紙に入りきらず見切れてしまった足元を指して指導者は言う。
「はじめにね、モデルさんのことをちゃーんと見て、どこが味わいかな、一番表現したいところはどこかな、ってちゃんと見るんだよ」
そうしたつもりだけど、頭から描きだすと足元が間に合わなくなってしまうことがよくある。かといって小さめにすると紙が余って、「もっと目いっぱい描かなきゃ、ごまかしたデッサンになっちゃうよ」と言われてしまう。
「どうしたら入るかな、って考えて描くんだよ」
そう、それも何度も言われているのに、今回は頭のてっぺんを削ってみたのに、間に合わなかった。できないことばかりだな、と下を向く。
「でも、線が生きてるね」
えっと思って顔を上げると、指導者がニッと笑っている。
「いいんじゃない、全然違う。自分でも、わかるでしょ?」
「….はい」
「でも、この腰のところずいぶん太いよ。ほら、おへそから腰までの厚さ。こんなにあった?」
「あ・・・たしかに」
「よく、見てみて。もっと生き生きしてくるから。ね」
鉛の重さ、楽しかった。両手がフリーになって、下腹の重心から動いて紙に写し取った。目が、よく動いた。
「はい」
足元の切れた未熟なデッサンを両手で挟んで持ち上げた。愛着が湧いて口元が緩んだ。

描くことも書くことも。感じることも見ることも。やめないで、ただ、続けていく。書くごとに、描くごとに、言いたいことが、表したいことが、ふたをしたままでいたことに、気づいて感じていく。
恐ろしい朝井リョウ。彼が今生きていて、書いていて、描いていて、これからも読めることにただ、ゾクゾクとしている。
ただ、とにかく、今は。