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育児は育自✨

先日、私が担当する幼児教育の場【マルベリーの森のおうち】卒園前に転園されたお子さんのため、プレゼントを贈りました。

Rくんは、ダイナミックな遊びが大好きで、家でも園のようにあれこれを遊具にして家を作ったり、車にしたりしていたそうで、1人遊び出来るようなおもちゃを必要としているとお母さま。

全身を使って机や椅子を積み重ねていくような『粗大運動』も、目と手の協調が必要な手指を動かすような『微細運動』も、人として成長していく大切なものですね。いつも同時進行で均一に2つの運動の方向性に向かっていくわけではなく、その子の興味関心で次々に進む方と、あまり関心の向かない方があるでしょう。
Rくんもそのような在り方に見えます。

ですが、秋や冬の枯れた(ように見える)枝の中に、次の春に向けて生命がイキイキと隠れているように、一人一人の子どもたちの見えている在りようの中に、次の成長発達の姿が隠れているのです✨

その時のサインを見逃さないように!

大人にとって大切なことは、やらせるのではなく、やりたくさせること。
そのために何が出来るか、その子に必要な支援は何かと考え行動すること。

できないことをできるようになるまでやらせることではなく、本人の内から湧いてくる「出来るようになりたい」というサインを見逃さず、積極的に見守ること。
先回りしてやってしまうことは、その子に「出来るようになった!」「大変だったけど乗り越えられた!」という成功(成幸✨)体験を奪ってしまうことになります。

Rくんの好きな赤色。ボール。ひも。
ビーズのようにも針仕事などでも使ってもらえるように、ウールでフェルトビーズを作ってみました。
シュタイナー教育のおもちゃは、それだけでは少し足りないようなものです。
その子の創造力を働かせてプラスして千差万別に変容できるようなもの。
粗大運動が大好きなRくんが、思わず関心をひかれ、声を出さず背中を丸めて何かしてる?よく見たら、フェルトビーズの穴に何かを通したくなったり、手指を使って微細運動遊びを夢中でしていたなんて姿を想像していました。

Rくんとそのご家族の、新しい日々を心から応援しています。

育児・保育は、育自だと思っています。
少なくとも、私にとっては。
昔の私と今の私。大きく成長してきたのは、多くの子どもたちのおかげさま。
自分のためだけなら、もういっか!とあきらめたり、無関心だったと思います。でも、私が成長することで、そのまま子どもたちに良い影響があると思うと、ずっとモチベーションが高いままでいられるのです。

緊張して冷や汗をかいて、子どもたちに嫌がられたりしたらどうしようなんて恥ずかしがっている私をみて、「先生、濡れてるね」とその通りを受け止め受け入れてくれた子どもたち。
ありがとう、おかげさまでコンプレックスだった「汗かきの私」を丸ごと受け入れられるようになりました。

一生懸命に覚えたはずの素話の一場面をド忘れして沈黙した時に、私を見つめ寛容に待っていてくれた子どもたち。
おかげさまで、ストーリーが私のところへ戻ってきてくれて、続けて最後まで語ることができました。

クラス担任として慣れてきて、口先だけでその場を何とかしようとした時、泣いたりケンカしたりして別の問題のように見せながら私を立ち止まらせ、振り返らせてくれた子どもたち。
おかげさまで、卑屈になっても偉そうにしても、言葉に力は込められないということがわかりました。私らしくいるしかない!

目の前の子どもたちにふさわしいこと。
それは、よーーーく観ているからわかります。

シュタイナー教育では、【観察】と言います。
ちょっと冷たく感じるかもしれませんが、評価せず自己の感情をできるだけ切り離した上で、子どもをありのままを観るまなざしは、本当に難しいですね。

どうしても、自分の生きてきた経験や価値観を通してその子を観てしまうから。
その色メガネを、いかに透明にしていけるか?
あの子とあの子は似ていることはあっても、人間は一人ひとり全く違う固有の存在であるから、カテゴライズできないことを実感し自戒できるか?

自分を育てていくことは、子どもたちにとって見本となる存在がより輝いていくということですね。

あんな大人になりたい!
大きくなりたい!
成長したい!
ワクワクしながら、その子らしくその子の人生をイキイキと歩んでいくために、
大人である私は、憧れと尊敬の念をもってみてもらえるよう、育自をしていきます✨

よろしければ、ぜひサポートをお願いいたします! 私が成長すると、関わる子どもたちと保護者の皆さんに すぐ良い影響をもたらすことができます。 この素晴らしい連鎖を続けられるよう、さまざまなよき出逢いと学ぶチャンスに、いただいたサポートを使わせていただきます!