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父に似ることの良し悪し【日々のこと】

父は生前、専用のリビングチェアーに座り読書やナンプレを楽しんでいた。ふと気がつくと目を瞑っている。そんな父を見つけては母が声をかける。
「お父さん、風邪ひくよ。毛布でも掛けたろか?」
「毛布は要らん。寝てないから大丈夫。」

5分ほどしてもなお目を閉じている父。気が気でない母がまた声をかける。
「やっぱり毛布が要るんとちがう。寒いやろ?」
「もう起きるから・・・大丈夫・・・。」

しばらくして毛布を抱えてきた母が父に掛ける。そして父の体と椅子の隙間に毛布をグイグイと押し込む。母特有の癖で熱が逃げないようにと布団でもコートでも掛けた物の端を必ず押し詰めてくる。途端に父が目を覚ました。
「毛布は要らんと言っただろ!わしは寝てないんだ!!」
「・・・・・」

ここまで読んでくださった方は父が我儘だと思いますか?母が可哀想でしょうか?私が若い頃はそう思っていました。何もそんなに怒らなくても…と。でも歳を取った今、父に肩入れしてしまう自分がいます。父の気持ちがよく解る。母の優しさも解らないではないけれど、それ以上に父の腹立たしさに共感を覚えてしまいます。

父はだらしのないことが嫌いで言ったことは守るタイプの人でした。父は眠りたくはなかったんです。だから少し寒いくらいの方がいい。しばらく目を閉じて浅い眠りを楽しんでいただけなんだと思います。そこに毛布を掛けられたら暖かくて本当に眠ってしまう。だから要らなかったんです。でも母が掛けた。そしてグイグイと押し込んで不用意に起こした。自分のタイミングで起きたかった父を。「大丈夫」と言ったわしを信用しとらんのかというやつです。この光景、一度や二度じゃないんです。帰省の度に見た、二泊なら連日で見ました。「いい加減、放っておいたら」と助言もしましたが母も頑なで連日毛布で怒られてる。「風邪をひきそうで心配」と言えば優しさですが「自分が心配したくない」という本音もまた垣間見える。昭和男の父からすればわしは信用も優先もされていないと怒る訳です。

父の気持ちが解り始めた私は母に対して最近ついつい怒ってしまう。夫の怒りなら受け流せても息子のそれは違うようで真正面から喰らってしまう母。親子だから似てしまうのですが親子だから少し違う。母に優しくありたいだけのことが、歳を取ってからの方が難しいだなんて思いもしませんでした。

「あいつが大丈夫と言ったら大丈夫だ。放っておけばいい。」

母と私の間にそれとなく入って止めてくれていた父はもういない。あの時の父は私を庇っていたのではなく母を守っていたのかもしれません。父の替わりに母を守らないといけない今、誰をお手本とすればいいのでしょうかね。

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