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悩んだ方がいい人生【日々のこと】

私のスマホには時々「鴻上尚史の人生相談」という記事が上がってきます。過去に数記事を読み漁ったので今でも上がってくる訳ですが、最初は他人が何を悩み、それらに対して綺麗事でも抜かしているのだろうと意地悪く読んだのが始まりです。でも、鴻上さんの言葉に唸ってしまいました。

私の意地の悪さが恥ずかしくなるほどの助言。必ず相談者に寄り添いながらも常識や耳障りの良い事だけではない人間感情の機微の話をされている。不義理と見なされることにも理を説いて庇うこともあれば、優しくも厳しく相談者の思い違いを諭すこともある。自分の手に余る相談と悟れば知った虚勢は張らずに専門家を奨める。全ての悩みに対して解決の糸口になればという真摯な姿勢を感じます。決して解決してやろうではなく、そこは相談者本人に委ねて糸口だけを毎回提示する。あとは本人次第という距離感ですが、それすら一定ではなく絶妙に相談者に合わせている様子に頭が下がります。

ただ私の意地の悪さも相当なものでして、鴻上さんには白旗なのですが相談者側に牙を剥いてしまう。「自分が良く見えるような書き方している。」とか「被害者感が強過ぎる。」とか。どこのどなたかも存じぬお悩みの方に「もっと正直に書きなさいよ。」とか「大したこっちゃない。」と悪態ばかりついてしまいます。「とっとと、やりゃいいじゃんっ!」なんて部外者の私が切り捨てている悩みに対して、当の鴻上さんは納得いくように促してはそっと背中まで押している。そんなにも優しいアプローチがあったのですねと、また恥じては頭の下がる思いです。

こんな私では人の相談にも乗れません。大体、悩みを聞く段階で意地の悪さが出過ぎてしまう。ニヤニヤしているかもしれない。大人として悩むべき案件です。でも、よくよく考えてみると私に相談を持ち掛けてくるだろう人がほぼほぼ居ない。少し良きように誤魔化しました。本当は全く居ない。だから大丈夫ということで、解決してました。

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悩みはないのですが、鴻上さんが必要な気がします。庇うことも諭すことも専門家も要りませんので、そっと私の肩に手を置いてほしい…

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