見出し画像

死と自己防衛

アルバイトに行ってきました。

お惣菜づくりのアルバイトで、今日は、連休中の、日曜日なのもあって、

人員増員、いつも1人で働いているところ、新しくお会いした方と、2人で、お仕事をしました。

とても、楽しい方で、おしゃべりが好きな方で、

わたしも、それに釣られて、ぐいぐい、質問をしてしまって、

たとえば、(今作っている)おにぎりの中で、何が一番好きですか?とか、

バイト事情の話とか、

もう、ほんとうに、雑談をたくさん、自分でもびっくりするくらいしました。

そして、自分の口が、勝手に開いてしまう度、胃が少しキリキリと痛みます。

相手に踏み込むことって、いつでも、スリル満点で、

質問したあとに返ってきたお返事に対するリアクションも、

限られた、リアルタイムの時間のなかで、即興で、自分の思っていることを、言葉にするということが、

どれほど、難しいか…。

例えるなら、綱渡りのように感じます。

数多ある言葉の中で、自分の思っていることに連なる、言葉という綱を、探り当てていくような。

でも、今日は、とても、珍しく、
「胃がキリキリするのに、勝手に口が開いちゃう、、」
という日だったので、

なんか、あーだこーだ書いていますが、結局は、楽しかったなぁーと思います。


その方には、感謝、です。

それにしても、わたしは、自分のことを、そんなに、繊細だと、思わないようにはしているけれど、(繊細さを受け入れた先にあるのは、実力主義、個人主義の世界のような気がして…)

いちいち、だれかに話しかけるたび、胃がうっとなる、という、身体への反応がでるので、

はぁー、、と、少しあきれるような気持ちになります。

死にたいなあと思うとき(最近は、有難くも、あまりありませんが)、

そういう時に限って、自分を守ることばっかり考えてしまいます。

あれもこれも怖いと思うのは防衛本能で、自分を守るためで、

いつも、死ぬとは真逆の、自分が傷つかないようにする行動ばかり取っていることに、

矛盾を感じて、うーん…となりますが、

結局はなぜか生きようとしてしまうことを、痛感します。

でも、

死ぬも、生きるも、きっと、自分が決めることではなくて、

自分ににできることといえば、

思っていることを、その都度、口にしてみることくらいな、気もするので、

湧いてきてしまう考えは、どうしようもできないし…

なので、なんで、こんなに自分を守ってしまうんだろう…ということに、罪悪感を抱きながらも、

自己表現することは、諦めないようにしたいなぁ、と思いました。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?