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キノコ採りの名人、伊藤さんのこと

2022年8月からイタリアンレストランで働き始め、間もなく秋になった。キノコの季節である。

うちの店でもヨーロッパからの輸入もののポルチーニなどを使っていたが、「本当は国産のキノコを使いたいんだよな」とシェフが呟いたことがあった。

そこで思い出したのが、もう20年以上の付き合いになるキノコ採りの名人、伊藤直人さんのことだ。「私の知り合いの伊藤さんが採るキノコは美味しいんですよ」と話すと、シェフは「値段にもよるけれど、仕入れられないかなあ」と言う。

早速、連絡を取った。

新聞社時代から20年の付き合いの「兄貴分」

伊藤さんは、私が新聞社で働いていた時代から親しく付き合ってくれている人だ。私が20代の終わり頃、取材チームでトヨタ自動車の連載をして書籍にまとめた時に、歴代経営陣の秘書として仕えたこともある幹部として、取材に全面的に協力してくれた。

その後、都内の関連会社に出向してからも、退職してからも親しくお付き合いいただいている。伊藤さんも私も日本酒好きな呑兵衛であることから、時折、美味しい店に連れていってもらったり、私が行きつけの店にお連れしたりもしていた。

何より、大企業の経営にかかわりながら、人間関係を大事にし、職業人として、人として志すべきことを酒を呑みながら真っ直ぐに語るその人柄が好きなのだ。しかもお茶目。一緒に呑んでいると笑いが絶えない。

しょっちゅう会うわけではないのだが、20歳も年下の私を「俺の妹分」と呼んで、何くれとなく気にかけてくれていた。私も取材先という距離感を超えた親しみをもって、伊藤さんの親切に甘えてきたかもしれない。

その伊藤さんは、埼玉県の自宅と長野県諏訪市のマンションで二重生活をしており、秋には諏訪の山でキノコ採りをしている。伊藤さん自身もかつて「キノコ採りの名人」の指導を受けて、安全にキノコを採取できるようになり、今では若手を指導するほどになっている。

私にも時折、日本語で「ヤマドリタケモドキ」と言われるポルチーニや高級キノコの「香茸(コウタケ)」を干したものなどを送ってくれて、おかげで私は東京にいながら山の秋の味覚を堪能することができていたのだ。

その日のうちにキノコを採って、無料で送付

シェフとキノコの話をしていた時、伊藤さんのFacebookに最近、山で採れたキノコの写真が次々にアップされていたのを思い出した。

伊藤さんへの気やすさから、すぐに「もし可能だったら私がバイトしているお店で伊藤さんが採ったキノコを仕入れられませんか?」とメッセンジャーで尋ねてみた。

すぐに返事があった。

「どんなきのこを、どういう状態で欲しいのか。生のものか干したものか。この頃は諏訪のフレンチにポルチーニ系、チチタケ、湯島の割烹にはチチタケを送っています。これからの季節はハナイグチやウラベニホテイシメジ、サクラシメジなどが採れるようになります」

シェフに尋ねて、生のポルチーニ系が欲しいと伝えると、「もうポルチーニ系は終わったかもしれない」と返信があり、なんとその日のうちに山に入ってあれこれ採ってきてくれた。

お願いしたら、その日のうちに山に入ってキノコを採って送ってくれた(伊藤さん撮影)

しかもその日採れたアカヤマドリ、アメリカウラベニイロガワリ、サクラシメジ、チチタケをすでに発送してくれて、翌日にはお店に着くらしい。

支払額を聞いても、「自分は販売はしていないから、まとまったものが採れたら無料で送る」と言う。その心の広さにありがたいやら、恐縮するやらだった。

採れたてのキノコを試食 

翌日、「キノコが届いたよ」とシェフから連絡があり、私は早速、店に食べにいった。

泥がついた状態で送られたキノコはまさに採れたて

まさに採れたて、という感じの泥のついたキノコがパックに入っていた。シェフは「どう調理するのがいいのかなぁ」と言いながら掃除をして、ひと口大にカットする。結局、オリーブオイルでシンプルにソテーした。

採れたてのキノコは力強い風味と香りで白ワインが進んだ。

二人で白ワイン片手に食べてみると、シャクシャクとした歯応えと共に濃い香りが口の中に立つ。なんて美味しいのだろう。

サクラシメジはリゾットにしてくれた。

サクラシメジは生米から炊くリゾットに
サクラシメジのリゾット。お皿の下をポンポン叩いて「こうやって広げるんだよ」と教えてくれた

キノコの風味とチーズの旨みが相まって、至福の味わいだ。

すぐさま伊藤さんに写真を送って、「めちゃくちゃ美味しいです!」とメッセージを送ると、「それだけ喜んでくれると、これからも送らざるを得ないな」と返ってきた。

「キノコ採りの名人『伊藤さん』」のメニュー

シェフはFacebookで伊藤さんとつながり、その後も郵送料のみ着払いで伊藤さんはキノコを何度か送ってくれた。

その後も様々なキノコが届いた。

店のメニューにも「キノコ採りの名人『伊藤さん』が採ったいろいろなキノコのスパゲッティ」や「キノコ採りの名人『伊藤さん』が諏訪で採った色々なキノコのリゾット」が並ぶようになった。お客さんも喜んでくれて、秋の看板メニューの一つになった。

自分が訪れたこともないお店のために、見返りも求めず尽くしてくれるなんて、どこまで懐の深い人なのだろう。

その伊藤さんから「10月の初めにキノコ採りの弟子を連れて食べにいきたい」と言われた時、シェフも私もそれはそれは喜んだ。やっと少しでも恩返しできる番が来たのだ!

シェフも「伊藤さんは何を飲むかなあ」と出すお酒も考えているらしく、一緒に飲んで語らうのを楽しみにしていた。

貸切宴会との葛藤

だから9月の終わり、シェフからLINEで「伊藤さんが来る日に、知り合いが午後7時から10人以上の貸切りをしたいと言っているので、伊藤さんの予約を夕方早めかランチに前倒しできないだろうか?」と相談があった時、とても悩むことになった。

シェフは先に予約が入っていた伊藤さんを優先して一度断ったそうだが、店はコロナ第7波の余波で閑古鳥が鳴いていた時期だ。日頃からよくしてくれる常連さんの紹介でもあり、まとまった売り上げが見込める宴会を受けられるものなら受けたい。そんな気持ちはよくわかった。

宴会があっても二人ぐらい店にいてもいいのではないかと思ったが、舞台の打ち上げで著名な芸能人も来るので、どうしても貸切にしたいと先方が言っているのだという。

伊藤さんに連絡を取ると、午後5時半なら来店を早められると言ってくれたが、1時間半で飲んで食べてはせわしない。それを伝えると、シェフから電話があった。

「お酒が好きな人ならあまりにも短すぎる。別の日にしてもらうのは申し訳なさ過ぎるし。どうにかならないかなあ。つらいなあ」

1時間半店で食べてもらった後に、私が近所の別の店にお連れしてごちそうすることも考えて、伊藤さんと直接電話でお話しした。

伊藤さんは気分を害した様子も見せず、「そんな事情なら仕方ないよ。自分でもそんな状況だったら宴会の方を取るもの。また今度にしますよ」と私の気持ちが軽くなるような言い方でキャンセルしてくれた。

いつも良くしてくれている伊藤さんに恩返しするどころか、失礼なことをしてしまった。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

シェフは、普段ならこんな時、おそらく伊藤さんの方を優先する人なのだ。それでもこの頃はコロナ禍で売り上げが激減していた時。苦渋の選択で宴会を取らざるを得なかった。

苦しくはあってもカッコつけて、伊藤さんの予約を優先して、私やシェフも混じってキノコ採りの話を聞きながらワイワイ飲めていたら、と想像もした。でも、オーナーシェフは、家族や従業員の生活も背負って店を経営している。カッコつけられない、現実的な選択をせざるを得ない責任の重さも理解できた。

謝罪の手紙に届いた干しキノコ

その後、伊藤さんからキノコは届かなくなった。シーズンが終わりに近づいたこともあるのかもしれないが、きっとそれまでのように気持ちよく送ってくれることはできなくなったのだろう。伊藤さんが見せてくれた真心に自分たちが応えられなかったことに胸が痛んだ。

私は近所の酒屋さんで、キノコに合うお酒2本を選び、謝罪やキノコのお礼と共に送った。

伊藤さんは、お酒が届いたお礼のメッセージをくれて、「少し干しキノコを送ります」と私にキノコの贈り物までしてくれた。さらに佐久市のキノコのフィールドを開拓しに行くからといって、良かったら佐久まで日帰りで飲みに来ませんかと誘ってもくれた。

きっと私が申し訳なく思っている心を軽くしてくれようという配慮からだったのだろう。佐久行きは都合がつかなかったが、とても心に沁みた。

不快な様子を見せることもなく、干しキノコを送ってくれた。

すぐにポルチーニをクリームパスタにして食べると、生のものより香りが濃厚で美味しい。

干しポルチーニを戻してクリームパスタにした。絶品だった。

「濃厚な香りと風味、最高です!実は明日が誕生日なのですが、最高のプレゼントでした。ありがとうございました」と写真と共にお礼を送ると、「それは良かったです。実は今、山から降りたところです」とかごいっぱいのキノコの写真を送ってくれた。

いつか来店してもらってキノコ談義を

「どうかこの件に懲りず、ぜひ一度お店に食べに来てほしい。今度こそ全力で歓迎します」と伊藤さんに伝えているが、まだ来店は実現していない。

そんな伊藤さんが最近、「3月になったら呑もう」と声をかけてくれた。店に来てくれるだろうか。それとも他の店だろうか。

店に来てくれたら、料理好きでグルメな伊藤さんに店のあの看板メニューも、このパスタも食べさせたい。美味しいあの白ワインを奮発してごちそうしよう。何より、何となく心持ちが似ているシェフと伊藤さんを引き合わせたい。

春になったら、「あの時はすみませんでした」と伝えながら、伊藤さんとシェフと私でワイングラス片手にキノコ談義をすることを夢見ている。

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