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本能と理性

 関係のない前置きとして、こういう散文的で日常の私的な事柄に焦点を当てるのって随筆にあたるのだろうか?などと調べもせずに思い出しながら、お通しをお出しするかの如くに、これが食欲のならぬ、読欲を促してくれればと思う次第だが、そんなはずもなく……。


 改めて、最近思うことがある。


人間のしたいこと、やりたいことを優先する行動、最も大きい三大欲求、いわば食欲・睡眠欲・性欲の三つを満たすのに行動するための衝動の凄さに年甲斐もなくちょっと嫌気が指している。

急に何を言い出すんだ、この人は……という事になりかねない話ではあるが、とかくここに集約する。

これは正確に言うと、明日、明後日、もしくは一週間後や一か月後を見通して、今やりたいことをどれくらいの時間までやってよくて、やらなければならないことをどのくらいやっておけばよくて、どのくらい休息に時間を使うべきか、といったより基本的な部分の整理がしっかりできていないことに対して危機感を覚えているが故でもあったりする。
言わば、時間軸的な将来性を見通しての行動。
英訳するなら「in the long run」で形容される、それの不足だ。


 そう、それともう一つ理由がある。



例として、いつもより食事の時間が遅くてなってかなりお腹が空いていた時に仕事が重なったりして予期せず、昼食や夕食を抜かなければならなくなったときに、いつもなら心に余裕があるから冷静に対応できるのだが、どうしても偶然が重なって思わぬトラブルを招いてしまうことは少なからずあるものだけれども、欲求が満たされていないときに起こすちょっとした暴力行為(言い過ぎだが)が自分で嫌になるのは誰しも(?)思うところなのかと思う……。

再度同じ言い回しで申し訳ないが、未然にこうしたことを防ぐための保険の用意が年甲斐もなく異常に少ない気がしている。
この視点に気づいたのが遅かったのもある。
もちろん、一人では限界があって能力には差があるのだから、困ったときは周りが助けてくれるから別にそのままでも良いと言われればそれも納得できる。



 でも、納得していない自分がいる。


……そう、根源的な本能として男性だからこそ、誰かより強くなきゃいけないといった性別的な本能が備わっているからこそだろうか、それに時折支配されてしまうことを極端に理性が嫌っている感覚が、とかく最近強くあるのだ。


 きっとこんなことは、第二次性徴期に考えを巡らせるべきことだったのかもしれないと思い変えす今頃である。
けれども落ち着いて考えられる今は、それを自分の特性として受け止める余裕もある。

そして、本能の利点と理性の利点があるように、本能の欠点はわかりやすいにしても理性にもまた欠点があることを見逃しがちである気がした。


 それゆえの「本能と理性」と題したのだけれども、
あなたにとっての「本能」と「理性」と、私にとっての「本能」と「理性」を切り取ってみてもそれは随分と違いが出る気がして、深いな、と思い至っていた。
時と場所と場合のTPOが話題になった時期もずいぶん久しくあるけれども、人によっての区切り方や解釈、扱い方を何となくよく見る人を見ていて自分との違いに陰ながら尊敬することが多くなった。

そんな場面でその人を陰で見ていて、
「そういうところ、ホント惜しいなぁ……」
と思う自分こそ、惜しいにも至らないと恥じる今日。


 それはさておき、なんでこんなことを書き出したのかと疑問に思われた方が多いと思うのだけど、この感覚について書こうと思った理由が、
「薬屋のひとりごと」や「ダンジョン飯」などのアニメ作品を最近鑑賞していて、書かれている題材の根幹に活きる精神性の一致を感じることがあって、それを巧く言葉にできないものかなと思案を巡らせた結果、私なりの答え(の経過)として「本能と理性」の五文字に行きつくかなと感じたから書き起こしてみた。

作品の特色で別物と言っていいほど(別物なのだが)大きく違って見えるものの、良いなと思う作品の主たる魅力って、人間が絶対に向き合わなければいけないこれらの題材の映し方の上手さでもあったりするのかもしれないと、今シーズンのアニメを大方見終えた感想も兼ねてのお題なのでした。(書き言葉の放棄)

書き言葉を崩したところで、画像の伏線回収に入ると、猫猫の舞踊すっごい綺麗で満天の星空のあのシーンだけでも幾夜語れるのだろうとずいぶん感動したんだけれども、この高揚感あってか、あのシーンに似た画像を選んでみました。



 最後に読んで頂いたあなたの「本能」と「理性」への考え方について、ちょっとだけお伺いさせて欲しいな、なぁんて最後に添えて締め括りと致しましょう……。


ここまでお読みいただき、ありがとうございました……。

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