構造主義/ホロコーストとナクバ


2021/4/13 寄稿

近代と構造

 まず構造主義(structuralism)は、反人間主義だという通説もありますが、それは飽くまで西洋的な「人間」主義(humanism)を批判していました。まずここに私の知る限りにおいて一つの誤謬が存在します。主に近代においてサルトルの掲げた実存主義(existentialism)が、余りに人間を主体として自由に生き己を作ってゆく傲慢さとして映ったために、レヴィ=ストロースは、未開に戻れと問題提起したのでありました。しかしながらその背景をもっと深く探ってみると、サルトルが自分を、人類をアンガジェ(engager)していこう、「投企」していこうとするそのバックボーンには、実は社会的弱者が階級に飲み込まれないための政治参加という意味合いでもあった。そしてサルトル自身の間においても、ヒューマニストと評価されることを拒絶する時期と受け入れる時期がありました。

 そして構造主義においても、十把一絡げにはできない潮流が存在しています。何も西洋の人間主義を批判するためだけの概念ではなく、歴史を辿ればマルクス主義などの布石があり、しかもその中にも法則を重視するマルクス・レーニン主義(marxism-leninism)と対比して、人間の主体性を志向する西欧マルクス主義(western marxism)もあった。その前を遡ればフランス革命から産業革命、そして資本主義経済が普及することで人間が経済を動かす実感や近代化による環境破壊、さらに啓蒙主義(enlightenment)による理性へのコントロールで、カントやヘーゲル哲学が派生してゆき、そこからサルトルに繋がっていきました。

 傍らニーチェにおいては、人間には元々生命の力があり主体性というには余りに空疎だと述べ、フロイトはそこを精神分析の観点から、自分にも与り知らない自分が無意識裡に存在していると考察しました。そもそもダーウィンの進化論では、生物とはスペクトラムであり、じゃあ一体どこからどこまでが人間なの?と区別を根底から揺るがしました。それぞれは前提とされてきた常識あるいは構造そのものを見直す意味で、矛盾を突き、構造主義の布石となっています。構造主義そのものについては、第3章で大まかに触れています。

ホロコーストとナクバ

 このテーマは刺激的かもしれません。皆様、ご存知の通り第二次世界大戦においての国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス党)のもと、ホロコースト(holocaust)という大変痛ましいジェノサイドが起こりました。人体実験や虐待、拷問などにおいて、数々のユダヤ人や被差別者が命を落としました。アウシュビッツにおける手記として有名なのがV.E.フランクルの『夜と霧』であり、大変な名著として今もなお語り継がれています。また、そうした犠牲者を追悼するために、イスラエルの首都エルサレムでは国立記念館(博物館)が設立されています。この出来事が一人一人の個人、そして社会や世界に与えた影響は凄まじく、決して忘れてはならず、二度と繰り返してはならない、大殺戮です。

 そして、皆様はナクバ(nakba)という、「パレスチナ問題」にまつわる「民族浄化」をご存知でしょうか。これは皮肉にも、1948年にイスラエルが国家として成立する過程で、多くのパレスチナ人が難民になり、70万人を超える人々(2017年時点では500万人)が故郷を離れざるを得ませんでした。そして、周辺諸国の難民キャンプへ収容されました。既にイスラエルでは人口900万人が居るので、仮に難民しているパレスチナ人が戻れば、それはイスラエル国家の消滅を意味すると、イスラエル人の多くが、そしてパレスチナ人に同情的な国民でさえも、そう考えています。

 そして、ガザ地区での繰り返される殺戮と破壊、つまりジェノサイドを見ても分かるように、ナクバは70年以上経った今日まで形を変え継続し、当事者であるパレスチナ人は今もなお、出来事の渦中に置かれ続け、一つの虐殺を生き延びても、またすぐ次の虐殺が繰り返されています。イスラエル出身のユダヤ人歴史家イラン・パペはそれを「漸進的ジェノサイド」と呼んでいます。

 二つの出来事に対して、全く同列に語るのは、それこそ二次的な暴力であり、それは私も避けたいです。しかしながら、通説・学説の歴史を少し紐解いてみると、背景にはこれほどの、こんなものではないもっと沢山の歴史や一人一人の物語が存在します。それをどう捉えるかによって、当事者の行き先が変わってくる気が、私にはしてならないのです。 

  

結論として

 前述の二つの段落では、通説とされている概念や思想に、本当はどれだけ細やかな歴史や区分分けがなされているか、(つまり事情があるか)そして、そのなかで実は(主観的な)被害者と加害者とは(つまり二項対立とは)、果たして明確に区分分けできるものなのだろうか、という箇所にイシューがあります。それぞれの立場に立って考えると、どちらにも「正義」があり、それらは入り乱れていて本来は連続体なものであり区画整理できないものなのかもしれません。本当は凄く微細な生命の動きを、大まかに2つとして分断するから対立が起こり、それを丁寧に紐解いていけば、実はそれぞれに納得できるものであるのではないか、と私は思うのです。そしてそこにこそ、分断緩和のヒントが隠されているような気がするのですね。


 被害者と加害者においても、こちらも刺激的ですが、元を辿れば危害を加えるに至る歴史や環境が存在している。であるから、その個人に帰属させるだけでは、いとも容易くまた繰り返されてしまうと思うのです。そうだからこそ教育刑論が存在しており、更生へのチャンスを与えていく風潮ができている。そうして負のサンクションを与えるばかりでなく、正の循環を作ってゆくことで、風通しが良くなりスティグマが減り、加害者においても社会的排除や孤立の防止の観点から刑務所などへしか居場所がなくなる(つまり何度も罪を犯す)といったことが減っていくと思うのです。もっとも、被害/加害の定義はここでは敢えて曖昧にしていますが、二項対立に陥る際のそれぞれの「正義」として捉えていただければ幸いです。

 そうした正の営みが紡がれていくには、やはり一人一人の「無意識」における差別意識に対して自覚的になることが大切で、精神分析家のW.R.ビオンにおいては「記憶なく、欲望なく、理解なく」という理論が存在します。これはクライエントに対する姿勢にはなりますが、私たちが目の前の人とそれぞれ一期一会的に存在するうえでも非常に肝要な示唆をもたらしてくれます。これまで出会った人の記憶の枠組みで出会うことなく、目の前の他者がこうであって欲しいという欲望もなく、理解したつもりになって分かったようにならない、というのです。私自身これを記述しながら、全く出来ている自信が微塵もなく自覚的でもないのですが、それはそれとして語り手の立場から、お話を続けさせていただきますね。

 つまり、絶えず自分が理解していると思っていることのなかへ誤謬可能性を浮き上がらせ、「無知の知」の姿勢をあらゆる面において貫くことが、分断や争いへの抑制に繋がると思うのです。懸命に調べて記述しましたが、前述した二つの段落にも誤謬があるかもしれません。それは逃げではなく、何故なら真実はいつも一つではないからです。時代によって解ることもあれば、当事者に近い人間だけが知っている通説・学説ではない真実もあり得ます。いずれにしても、原理的にこの世の全てを知ることが不可能ならば、この世の人間を人間が裁くことにも、questionが生じると感じますし、更にいえば和平はそこの地平に立つことにより、初めてスタートするのではないか、とすら思うのです。

 学問上の潮流は、反省から始まることがしばしばあります。この流れもいつかは反省されるかもしれません。ですが、それはそれで新たな布石になれば、私にとっては幸甚の至りです。何故なら何がしかの形で寄与ができているからです。私はこれからもなるべく、誰も責めずに二項対立を生成しないようにしながら、絶えず主に自分に対して、批判的思考を投げかけ続けたいと思います。


参考(引用)文献:小野功生著『図解雑学 構造主義』ナツメ社

         海老坂武『100分 de 名著 サルトル 実存主義とは何か』NHKテレビテキスト
                           高橋和夫著『パレスチナ問題』放送大学教育復興会

        宮下志朗、小野正嗣著『世界文学への招待』放送大学復興会、pp.115-117

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