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回避行動を打破してほんの少しだけ楽になった話

気力が無くなると、悪循環に陥りがちだ。回避行動が増える。

・小さな買い物をネットで済ませる。
・ちょっとした洗い物や掃除を後回しにする。
・顔見知りとの挨拶が億劫になり、見かけたらそれとなく違う道を歩いてしまう。

こういうことが続くと、普段から自己肯定感低めの私は「こんなこともできない人間なんだ」と思い込み、生きてることすら申し訳なくなってくる。

しかも、これって結構ちりつもで、一回そのループに入ると「やらなくて済むこと」「後回しにすればどうにかなること」でもあるので、どんどん抜け出せなくなって行く。特にこの数ヶ月、私はずっとその中に居た。会社で気楽に飲みに行ける人も、本心で話せないなら意味ないわと切り捨て、片手におさまる位に減った。

さらに近頃は睡眠導入剤と少量のアルコールを合わせると、時々嘔吐してしまうようになっていた。過去どんだけ落ちても、こんなに身体に出たことはない。導入剤も、多くても2錠までにしていたのに、いつの間にかすごい量になっていた。朝起きれず、会社に行くことができない日が続いた。それでもどうにかギリギリの気力を振り絞って、寝癖頭で、パジャマのままリモートをしたこともある。

原因は色々ある。でもアレコレが起こる前、どうやって生きてきたのだったか。どんなに辛いことがあってもなんとか乗り越えて生きてきたはずだ。

そもそも人間は、過去のことを後悔しても、未来のことを憂いても、今しか生きることができない。その上、他人をコントロールして思い通りに操ることなんて、不可能だ。だから、自分でどうにか出来ることってめちゃくちゃ少なくて、大体のことはそうなる運命だったんだと、どこかで受け入れるしかない。

不可抗力なことに対してまでも、自分がどうにか出来たのではないかという勘違いや思い込みで、どうにも出来ない考えが入り混じり、どんどん自らの足元を削っていたのだと思う。

まずは、生きてるだけでしんどいモードの自分を少しでも肯定できるよう、普段何気なく避けていた行動を少しだけ軌道修正した。

小さなことでよかった。
例えば会社でちょっと避けていた人に話しかける。
それだけで向こうの態度も変わってくる。
すると自然と次からもう少しだけ話しやすくなる。
相談もしやすくなるし、相手が実際何を考えていたのか知ることも出来るようになる。

避け続けたら膨らんでいたであろう苦手意識が払拭されることで、他の誰でも無く、自分が楽になる。

こういった回避行動は、逃げ場という意味では自分を救うこともあるけれど、欠席を続けると今度は出席しにくくなるといった、これまで出来ていた行動のハードルを上げることにもつながる。

身の周りにも居るのではないだろうか、あの人前まで積極的だったのに、なんか急に存在感がなくなっちゃったな。みたいな人。多分回避行動を続けた結果そうなってるんじゃないかな。そういう時期あるよね。

私も、周囲の状況が落ち着くまでもうしばらく時間がかかりそう。
ふと、全てがどうでも良くなる瞬間もある。
ちょっと打開したってだけで、大抵の回避行動は続けている。
ある人のことを思い浮かべるだけで涙が止まらなくなるし、きっとこの時期経験した痛みは何年経っても鮮明に思い出せてしまうと思う。

ただちょっと行動を変えるだけで、ほんの少しだけでも楽になるってことが分かった分は、成長できた気がする。辛いけどどうすることも出来ない時は、じっと耐えながら自分にできることをしていくしかないんだね。

週末は布団を干してふわふわにしたし、洗濯物も全部収納できた。
子供の好きなおかずを作り置きしたし、ネットでなくちゃんとお店で買い物もした。当たり前のことを、当たり前にした。

そういえばお遍路を終えたときに、気付いていた。何かを達成したとして、自分っていうものはそう簡単に変わらないということ。
ご飯を食べて、仕事をして、また明日も生きるしかないってことに。

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