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ヴァーチャルでリアルなこの世界をめぐる断章

N高校をつくった大人たちが「ネットだけではなく、リアルも大切にしている」という類のセールストークをしていたところ、当のN高生から「先生たちはネットとリアルとかって区別してますけど、僕たちにとってはどっちもリアルですよ」とダメ出しされたという話があります。

外部からの批判を見越した対応として「リアルも…」と言っていたわけですが、ネットの可能性を信じている大人にとっても、ちょっと虚を突かれるダメ出しだったようです。

インスタやLINEでのつながりなどは、ニセモノに過ぎず、そんな世界にリアルな友人関係など生まれるはずがないというアナログ信仰から、N高をつくった大人たちですら脱却できていなかったという皮肉な現実を示すエピソードです。

しかし、考えてみれば、ネットとリアルを二項対立の図式にあてはめて前者を卑下する思考は、手紙や電話などのテクノロジーの価値を切り下げる思考と地続きです。

オンラインなどでは対面のように心を通わせることができないのだとしたら、手紙や電話もニセモノのつながりしかつくれないことになります。

Zoomでの対話が擬似現実に過ぎないと言うなら、「心のこもった手紙」も疑似現実です。そこにはインクのシミがあるだけで、ぬくもりのある身体を持った人が目の前に存在しているわけではありません。

書物を通じて古の人と対話するという読書行為も、疑似現実であり、アバターとの対話のようなものです。

紙や活版印刷というテクノロジーが可能にした書物が生み出す「疑似現実」が時空を超えた豊かな対話を可能にするのであれば、オンライン対話にもSNSにも、アバターにもロボットにも、「リアル」があることを認めるべきなのだろうと思います。

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