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魚を木に登らせない:AIと教育をめぐる大切な視点

 かつて話題になったYouTube動画「学校システムを告訴する」
 冒頭で、PrinceEaは強烈なメッセージを投げかけた。「魚を木に登らせて10マイル走らせるような教育」という比喩で、子どもたちの個性や能力を無視する教育システムに警鐘を鳴らしたのだ。

 「魚を木に登らせて10マイル走らせるような教育」という比喩は、教育の問題だけでなく、新技術、特に生成AIに向き合う態度を考える際にも示唆を与える。
 例えば、ChatGPTに「太宰治の人間失格の感想文を書け」と命じるのは、魚を木に登らせるようなものである。それが不適切な結果を生んだとしても、AIが無能だという証拠にはならないはずだ。

 人間とAIが持つそれぞれの特性を理解し、それぞれが生きる方法で活用することが必要だ。新しい技術の可能性が出現する中で、「AIにできないこと」や「人間にしかできないこと」を探したくなる気持ちはわかる。ただ、それが生成AIの可能性に目をふさぎ、イノベーションを抑圧することになってはいけない。

 教育にたずさわる者であればわかるはずである。私たちがなすべきことは、"できないこと"を探ることではなく、"できること"に焦点を当て、その可能性を伸ばしていくことだ。魚を木に登らせるのではなく、水の中で自由に泳ぐことを大切にするような教育が望ましい。魚には魚の、AIにはAIの活躍すべきフィールドがある。その可能性に眼差しを注ぎ、伸ばしていく役割を果たすべきだ。それこそが、教育者として新しいテクノロジーに向き合う私たちが取るべき態度なのである。


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