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大村はまは軍国主義者だった?―教師の指示とプロンプト

 「プロンプト」とは指示、指令、命令という意味だが、それが必ずしも一義的な内容を指すわけではない。例えば、戦場で上官が部下に対して行うような、余地のない明確な指示がある一方で、あいまいさを許容する柔軟性も持つプロンプトも存在する。その一例が、AIに対するプロンプトだ。人間がAIに対して出すプロンプトは必ずしも明確でなくても良い。それは、あいまいなプロンプトこそが、AIの創造性を引き出す余地を提供するからだ。

 この明確なプロンプトと柔軟なプロンプトの二面性は、教育の現場にも通じる。特に、戦後の日本教育がその象徴だ。教育者たちは、二度と子どもたちを戦場へ送り出さないと誓い、そのための指導を行った。その中でも特筆すべき存在が、大村はまだ。彼女は教壇上で子供たちに対して一度だけ明確な指示を出す。その指示は子供たちに完全に理解され、一度聞いただけで忘れられないようになるまで考え抜かれたものだ。

 しかし、その一見すると平和教育に徹した彼女の教育手法には、意外にも軍国主義教育と共通する部分がある。その手法には、全身全霊を挙げて兵士たちに指示に従うことを求める上官の命令と、驚くほどの共通性があるのだ。

 21世紀になった今日、その大村はまの教育手法には限界も見えてくる。かつての軍国主義教育と同じく、指示をしっかり聞き取り、それに忠実に従うことを重視するのが彼女の教育方法であったとすれば、そこには個々の子どもの主体性や多様性を存分に伸ばす教育とは異なる志向が見て取れる。

 彼女が追求したのは、子どもたちが主体的に考え、行動する力を育むことだったはずだ。現代社会においては、多様な価値観を認め合う力、異なる考えを持つ他者と対話する力が重要な教育的課題となっている。

 もちろん、大村はまの実践者としての貢献をここで否定しようとする意図はない。だが、今日の子どもたちには、一度だけ与えられる明確な指示に従うだけでなく、対話的な関係性の中で、自ら思考し、柔軟に行動する力を育てることが求められている。
 これこそが、今、教育の現場で必要とされるプロンプトであり、文系のプロンプトの要諦なのだ。


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※音声入力で書いた草稿をChatGPTに添削(句読点をつける等)してもらい、加筆修正の指示を何度か出して推敲を重ね、最後に自分で字句を修正して書き上げました。生成系AIとの「共同制作」による記事です。

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