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女の子を描く。

 初めて少女の絵を描いたのは、中学生の頃だったと思う。再放送していた「ペリーヌ物語」の主人公をノートに描いてみた。落書き程度のマンガ絵であれば、小学生の頃からちょこちょこと描いていた。マジンガーZが大好きで、「ボクの考えた最強のマジンガー」を学校で配布されたわら半紙の裏に描き連ねたものだった。
 やがて宇宙戦艦ヤマトに出会う。今度は古代君カッコイイ!!とアニメのワンシーンを模写するようになった。流石にヤマトは細かすぎて描く気にならなかった。そもそもマンガ原作の松本零士さんも上手には描けなかったし。
 中学に上がると、クラス替えで知り合った友人が漫画家を目指していたのに触発され、自分も漫画を描きたいと思うようになった。マンガを描くには、自在に描けるキャラクターが必要。ここでオリキャラを意識するようになった。
 最初のオリキャラは、聖悠紀さんの「超人ロック」を手本に描いた。聖さんの画風は、小学生の頃に読みまくった「テレビマガジン」や「テレビランド」から慣れ親しんでいて、特に綺麗な作風だと気に入っていた。あこがれていたのだ。しかし、女性キャラまでは模写しなかった。聖悠紀さんの画は少女漫画に寄ったところがあって、何か照れもあって抵抗を感じたのだ。

まつ毛バシバシのお目目キラキラ☆

思えば、松本零士さんも聖悠紀さんも、少女漫画から世に出た漫画家。石ノ森章太郎さんも少女漫画に寄せたところがあって親しみがある。漫画家を目指すならばそれに倣うのが本筋であったと思うが、少々外れた方向に目を向けてしまったのだ。

 それが「ペリーヌ物語」だった。宮崎駿さんの「アルプスの少女ハイジ」や「赤毛のアン」を制作した日本アニメーションの、「世界名作劇場」の作品のひとつ。とにかく「ペリーヌ物語」のキャラクターは、シンプルな線画で且つ写実的なデザインだった。
 アニメーションと言うのは複数のスタッフによる共同作業がメインのため、なるべくシンプルで単純なキャラクターデザインを必要とする。乱暴な言い方をすれば、誰でも描けるよう配慮されたものがアニメキャラのデザインだ。

 とにかく線が少ないという理由から、ペリーヌ物語の模写にトライした。
               ところが。
 線が少ない方が却って難しい面があることに気が付いた。わずかなズレで、顔の印象が大きく変わってしまうのだ。
 実際にキャラ画を模写したことのある方なら経験していると思う。何か変、おかしいって感じ。左右の目の位置がちょっとズレただけでヘッタクソな印象に変わってしまう。
 とりわけ顔、表情と言うのは配置が重要であると、この時に知った。

ペリーヌ物語のキャラクターは、デザイナーのデッサン力が遺憾なく発揮されたものでした。

 この少ない線で人物を描写という技術のおかげで、高校に上がると似顔絵を描くように。友人たちに大受けで(嫌がるのもいたけど)、その頃からシリアスな劇画調よりもギャグタッチの4頭身キャラを好んで描くようになった。

 その当時「超時空要塞マクロス」というTVアニメが劇場版としてリメイクされるに当たり、キャラクターのデザインを6頭身から5頭身に変更すると雑誌で発表された。キャラの動きをもっと自由にするため、動作の見せやすい造形に改変したのだという。
 かの安彦良和さんも「キャラを描いていると、だんだんドラえもんになっていく」と言う。これもまたアニメーション制作の上で、キャラを扱いやすいように頭が大きくなっていった結果なのだと思う。
 最初は抵抗があったものの、徐々に自分も5頭身でキャラを描くようになっていった。ストーリーでもギャグでも、5頭身というスタイルは見事にハマった。殊に女性キャラを描くのにうってつけだった。そもそも女性は髪を伸ばしたり巻いたり飾ったり。頭の大きい方が表現の幅が広がるのだ。

 周りの受けも良かったので、この頃から女の子キャラばかり描くようになった。細野不二彦さんの「さすがの猿飛」を参考に、少女の画を描くように。細野さんのキャラはお目目キラキラまつ毛バサバサとは違い、可愛らしさと何処となくエロスを持っていた。「レイアウトの妙」がそれを実現していたのだと思う。

みんな魔子ちゃんにハァハァしてましたw

 方向性と言うかスタイルが定まってくると、もう描くのが楽しくてたまらない。ちょうど画像生成AIのユーザーが爆発的に増えているが、彼らもまた同じ心境なのだと思う。写真画像の学習も加わって、より写実的でよりエロスを纏った自分好みのイラストが生み出せるからだ。

 様々なキャラを模写して、いわゆるキャラの描き分けが出来るようになってくると、自分の描いているそれが「マトリクス」の結果に過ぎないと気づいてくる。目・鼻・口の特徴、髪型・顔の輪郭。自分の引き出しの中からそれを選んで並べているに過ぎないのだ。自分のイメージからイラストを描くにしても、それには基になる「見たことあるもの」が存在する。
 寝ているときに視る夢の中でも、見知らぬ人物のイメージは何処かで見たことのある人の記憶を、脳内で掘り起こしているのだという。
 芸術絵画もまた完全な創作ではない。必ず基になった現実の記憶が介在している。

 やっている事はヒトもAIも変わりはないのかも知れない。但しAIが基にしているイメージは、どこかで偶然目にした自然物ではなく、誰かがネットに貼り付けた「著作物」であるのが悩ましいところなのだろう。

 イラスト制作と言うものは、気に入った作品が描き上がったときの達成感が何ともいえない。手応えは制作途中から感じられる。慌てず心を静めながら、しかし抑えきれない興奮に胸を躍らせ、一筆一筆に熱を込める。
 それは一種の麻薬のようなもので。自分のペンから生み出される少女たちにハァハァしているのだから、HENTAIの方が正しいかも。別に悪いことをしている訳ではないが、背徳の行為の様でもある。

 画像生成AIは、そうしたユーザーを量産していることになるのだから、やはり害悪なのかも知れないな、うん。
 先達としては、「いらっしゃい!」と喜んであげるべきかなぁ?

この味を知ったら、もう止めることはできないのだwww

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