見出し画像

友情結婚当事者の「恋せぬふたり」感想(第2話)

NHK「恋せぬふたり」の第2話が放送されましたね。
個人的には第1話よりも、刺さるなぁ、わかるなぁと思う部分が多く、見ていて感情が揺さぶられるところがありました。少し泣きそうになったところも。感想を書いていきたいと思います。

第1話の感想はこちらから→友情結婚当事者の「恋せぬふたり」感想

※以下、ネタバレを含みますのでご注意ください。


共同生活の難しさ
同じセクシャリティ同士だったら「家族」になれるのでは、と主人公の咲子は高橋に提案し、二人は共同生活を始めます。
やや苦い表情の高橋に対し、ウキウキワクワク気分で過ごし始めた咲子ですが、徐々に生活に苦しさを感じるようになります。
例えば、二人きりでいるときの沈黙が辛さや、家事の分担やお金のことなど、思い描いていた「家族」とは違うことを感じ始めます。
これ、アロマ・アセクに関わらず、友情結婚をしたら経験しやすいことだと思います。これが描かれているところが、「うまい!」と思ってしまいました。
母数が少ないので、同じような考え・性質の方に会ったりすると、この人となら一緒にいられる!と思ってしまうのはよくわかります。けれど、現実的に考えると他人と他人が一緒に住むのはとても難しいことです。しかも相手のことが「好き」という感情がない分、ここは許してやろうとか、自分が引こうとか合わせようとかする気持ちが薄くなります。
好きという感情がないのに、私はパートナーと一緒に住めています。それは、「好き」という感情で妥協することなく、けれど自分に無理することなく生活できる相手と巡り合えたからだと思います。波長が合う、といいますか。
もちろん、そうなるにはお互いの希望のすり合わせや、話し合いもありました。けれど幸運なことに、どちらかが無理して合わせる、という状況にはなりませんでした。
後述しますが、好き同士でないからこそ、話し合いはとても重要になってくると思います。

許容範囲の違い
咲子の母親は、咲子が高橋と同棲していることを知り、家に呼びだします。
咲子と高橋は恋人の振りをして家に行くことになり、「恋人なら手を繋いでおくべきなのか」という話になるのですが、高橋は手を握ることが嫌というよりは不快だ、と答えます。咲子は手を握ることくらいは平気だけれど、ベタベタするのは嫌、と答えます。
私はノンセクシャルなので恋愛感情はあるのですが、触られるのは好きではありません。手を繋ぐくらいは平気なのですが、ベタベタ触られるのは好きではありません。
同じセクシャリティでも、咲子と高橋のように許容範囲は違います。恋愛感情がある人でも、過度にベタベタするのが苦手な人がいたり、好きという感情の大きさ・重さが違ったり、人それぞれです。
そういったところを描かれていたのも、丁寧だなと思いました。

「好き同士でない男女が、一緒に住む理由がある?」
咲子の母親が、咲子と高橋が恋人同士ではなく、アロマ・アセクであり、一緒に住んでいることを知ったときに言った台詞です。
正直、ぐさりと刺さり、一瞬泣きそうになりました。
好きでなければ、誰かと一緒にいてはいけないのか。
例えば同性愛者同士だったとしても、まだまだ理解が足りない世の中です。それでもそこには、「好きだから一緒にいたい」という感情があります。アロマ・アセク同士にはそれがありません。
誰かを好きにならないと、誰かと一緒にいたいという気持ちは、肯定してはいけないんでしょうか。

私はいずれ子どもを授かりたいと思い、異性と結婚することにしました。でも、子どもはいらないけれど家族が欲しい、という人はたくさんいます。
もっと、家族の形が色々あっていいんじゃないか、と思います。
家族(ここでいう家族は、戸籍を共にするという意味です)というのは異性同士でなければならない、好き同士でなければいけない、というのは誰が決めたのでしょう。
そもそも、大人になったら家族を作らないといけない理由は何なのでしょう。一人で生活したり、ルームシェアをしたりしても良いんです。誰にも迷惑をかけていないし、誰も不幸になっていません。
家族という形を、世の中は押し付けてくる。当たり前だと思っている。
異性同士であっても、同性同士であっても、好きでも好きでなくても、一緒にいたいもの同士が一緒にいるだけ。たったそれだけなのに、咲子の母親のように理解できないという人が多いのも事実です。
それは誰が悪いとかではなく、多くの人々が「好き同士の異性で結婚」しているから、それが当たり前だと思わざるを得ない状況にあるだけのこと。
その事実と母数は変わらないかもしれないけれど、少しでも「知る」ことで当たり前は変わっていく。
このドラマが、そのきっかけになることを願わざるを得ません。

「嘘をついていたくない」
咲子は、自分たちがアロマ・アセクであることをカミングアウトし、ショックを受けている家族に対して「大切な人たちに嘘をついていたくない」と叫びます。
これも、聞いていて胸が痛かったです。

私は家族に嘘をついています。
友情結婚であることは伝えていません。伝えていないだけで偽っているわけではないので、厳密には嘘ではないかもしれませんが……。
また、結婚相談所で出会ったことは伏せて、馴れ初めは完全に嘘をつきました。パートナーと打合せをして決めました。
罪悪感が無いわけではありません。私も咲子のように家族が大事だったので、そういう人たちに大きな嘘をつきたくありませんでした。
けれど、嘘をつくことが、自分たちと家族の絆を守ってくれているのも事実です。もし「友情結婚って言って、好きじゃないけどこの人と結婚するね」と言ったところで受け入れられるとは到底思えません。
好きじゃないけれど、「この人と結婚しよう」と思ったのは事実です。好きじゃないけれど、「この人は家族だ」と思っているのも事実です。
恋愛結婚をしてもパートナーに対する愚痴があったり、不満があったり、離婚することがあります。それと同じではないか、と思うんです。
家族になりたい人と、家族になった。それは嘘ではありません。

二人の生活のやり直し
二人は、お互いが「家族」ではなく「味方」であると認識して、再度共同生活を仕切りなおします。そこでようやく、家事の分担やお金のことを話し合うようになります。
前述したように、好きという感情がないと、どうしても相手の嫌なところが許せなくなったり、気になったりしてきます。友情結婚において、話し合いはとても重要です。
また、高橋はアンケートを咲子に渡します。そこには、アロマ・アセクということを前提に、どこまで許容できるかが細かく問われていました。
友情結婚において、それはとても大事です。例えば手を触れれるのは嫌とか、下着は触られたくないから洗濯物は別が良いとか、人によって許容範囲は全然違います。
ちなみに、私とパートナーは洗濯は一緒ですし、お互いの下着も触ります。最初は抵抗があったのですが、いずれ子どもができたらそうも言っていられないですし、洗濯物を分けて時間もお金もかかってストレスになるのも嫌だったので、話し合って一緒にすることにしました。今は慣れて、なんとも思っていません。

特にお金のことと家事分担はもちろんのこと、個人的には、掃除の頻度?衛生面での考え方も大事だと思っています。
例えば「この程度なら掃除しなくていいか」というレベルが違っていたら、一方は「何でこの人掃除してくれないんだろう。いつもこっちが掃除してる」と思い、一方は「いつもしてくれて申し訳ない」とか「えっ、そのくらいで掃除するの」と思うかもしれません。
私とパートナーも、今でもよくあります。私は水回りはすごく綺麗にしておきたい方で、パートナーは床掃除をしっかりしておきたいほう。何で掃除してくれないの~とか、そこまで掃除する~?とか思うこともありますが、気付いた方・気になった方がやるという感じで、あまり争いごとにはなりません。
この差が激しいと、お互いストレスになってしまうかもしれません。


次回予告では、第3話も波乱となりそうです。
ドラマ特有の急展開さはありますが、とても丁寧に考え、作られているなと感じました。
また次回も楽しみです!

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?