億劫なことも一足踏み出せば
先程、久しぶりに娘と支援センターに行ってきた。
年末年始はばあちゃんが亡くなったことで、姉家族も帰省したこともあり、なんやらかんやらでいつもより賑やかな時間を過ごした。ばあちゃんも喜んでるかな?
で、その流れにそのまま乗ったまま、まあまあぐうたら気味にお家で娘2歳と過ごしていた。
世間は仕事初めのイソイソとした空気も落ち着きだし、いつもの流れになっている。
私は家に居ながらもその空気は感じ取っていた。
"そろそろ支援センター行った方がいいよなー"
"そうだそうだ、お前もそろそろ動き出せよ"
頭の中では謎のプレッシャーのような会話が繰り広げられる。
"でも、今日も寒いしなーー"
"コロナも心配だしなー"
なんだかんだ言い訳をつけては、
やっぱ明日にしよう、そうしよう。と思ってたんだけど。
何があったわけでもない、単純にそれじゃだめだ、とおもい、意を決して、7時半ごろから化粧をしたり、用意をし始めた。
うんうん、このままの流れで行けるはず。
はず。
のはずが。
8時半ごろになったら、やっぱり揺らいできた。
明日…にするか?…。
行けない理由を、探すべく、支援センターの一月便りを見る。今日は…10時から赤ちゃん教室か、9時から10時なら行けるようになってるな。コロナの影響で閉鎖にはなってないのね。
そっか。じゃあ行けるね。
あ、そうだ。娘が乗り気じゃないかもしれない。
娘に、"久しぶりに支援センター行く?"
聞いてみる。
実は昨日何回か、明日は支援センター行くかなー?行くー?と娘には声かけしていた。
けど、そんなに反応がなかった。
なのに、
"いくうーーーーー!"
と目を輝かせながら娘が言った。
よし!!!これはもう行くしかない!
と再度心を決め、やっと家を出ることができた。
久しぶりの支援センターで嬉しそうに遊ぶ娘の顔をみて、もっと早くくるべきだったな、と反省しつつ、やっぱり今日来て良かった、と思えました。
支援センターから歩いて帰る途中、向こうから、散歩中のフレンチブルが見えて、
あ、犬だよ、犬来たよ。
て娘に話しながら、娘が犬の姿を捉える瞬間を見る。すれ違う時、フレンチブルがまんまるなお目目で私を見つめてくる。
その可愛さに、今、ここを通ってよかった。とおもえた。
家の手前にある実家に寄る。
ばあばは、ばあちゃんのいろいろな手続きでたくさん書類を机に広げていた。
ばあちゃんが亡くなった今、実家は、ばあばひとり住まい、になったけど、まだまだやることもありそうだし、近くに私たちもいるからそんなに寂しそうにしていなくてよかったな。
私は支援センターで借りて帰った絵本2冊をリュックから取り出して、
"支援センター行ってきたよー。絵本借りたよー"と話しながら、ばあばにその絵本を渡すと、
娘に読み始めた。
しかけ絵本をめくる音。
ちょうちょ!と娘がうれしそうに言う。
こたつにはみかんが一個置いてあった。
ばあばに"このみかん食べていい?"と聞くと"いいよ"と言ったので、みかんを剥く。
こたつに入ったまま娘と半分個。
数時間前までは、支援センターに行くことが、あんなに億劫、と思っていたけど。
動き出してみれば、世界がそれに合わせるかのように、動き出した感じがした。
…
どうってことない、ただ億劫だった、という話。
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